宿のパトリシオとシルビアが、ここまで来たら絶対にコンセプシオンとタルカワノを訪れ、地震の状況を自分の目で確かめてきなさいと勧めてくれた。コンセプシオンはチジャンからバスで1時間半。中部最大の都市だ。 恐る恐るいってみると、人々は普通に生活をしていた。
全ての家が全壊しているというわけではなく、所々の家の壁が崩れているという状態。
たち入り禁止の場所も、まだ多くあった。
電線も張りなおしたのか、すごく多い。 屋根がつぶれてしまっているところも。
電線が切れてぶら下がっている。これは大丈夫と町の人が教えてくれたが、それでも見ていて恐い。
市場はとても活気があった。
駐車場。
ここは家の中がまるみえになってしまっていた。 バスでコンセプシオンの中心から40分ほど海の方に走った漁港の町タルカワノ。ここは今回の地震で最も被害を受けた所だ。 コンセプシオンと違い、ここは人の気配がほどんどない。
学校のフェンス。奥の壁も一面崩れてしまっている。 足場もかなり崩れていた。
タルカワノは地震の被害よりも津波の被害の方がひどかった。地元の警察官と話していて色々と当時の状況を教えてくれた。
海沿いの歩道。
コンテナーが海に放り出されている。
陸に船も打ち上げられていた。
タルカワノの町。歩いていても人に会わない。そして、人が住んでないから音がまったくといっていいほどない。歩いていて、自分の心臓の音がバクバクなっていた。 家の中もひどい状況だ。町には所々腐臭がただよっていた。 家のドア。 タルカワノは打ち上げられた物、流されたものの回収が終っていない。建物の解体、補強に時間がかかっている。
海沿い近くのガソリンスタンド。
ここの奥からは立ち入り禁止となっていた。
バスも水にのまれて、動かなくなっちまったよ、とガソリンスタンドのおじちゃんが教えてくれた。
崩れそうな家。隣の家に支えられている。 こんな塊が落ちてきたらひとたまりもない。歩きながら、冷や汗をかいていた。 多くの町の人はどこに避難したのだろう。道を巡回している警察官に聞いてみると、フットボールのスタジアムにみんないるよ、と教えてくれた。
テントが何百とはられている。ここも海から近いフットボールスタジアム。 この日はボランティアの団体が学校の子供たちの為に運動会を開催していた。みんな元気な声で楽しんでいた。 テント会場。まだいつ地震がくるか不安で、夜も眠れないという人もいた。
トイレ。生活にかかせないものだ。
ここでの生活はまだしばらく続きそうだわ、とお母さん。
早く学校でみんなとサッカーがしたい、と語る少年。
洋服も寄付で全国からたくさん届いた。 食べ物も余分に届いているので衣食住はなんとかなってよかったと多くの人が安堵していた。ここにいる全員が、なるべく早く多くの家が修復され、町で安全に住める日を待ち望んでいる。
Sunday, April 25, 2010
Saturday, April 24, 2010
Market in Chillan
町の中心から少し東に行ったところに大きな市場があったので行ってみた。ぼくは町につき、教会へ行かなくとも、市場へは必ずいく。
オニャンコ先生。
カラフルなニット。北上してくると、だんだんペルーっぽくなってきた。
市場のおじちゃん、シエスタ中。(お昼寝)
シエスタの時間になるとお客も少ない。
外には野菜市場があった。
世間話をしていて仲良くなったお土産屋のおばちゃん。
お土産屋のおばちゃんのお孫さん。
うー、苦しい、とお孫さん。
お肉市場で発見した美人さん。横はお父さん。家族でお肉屋さん。
チリ中部は気のせいか、美人さんが多いような気がする。そういえば昔「美人が多い国は、V+3C」と誰かが教えてくれた。ベネズエラ、コロンビア、コスタリカ、そしてチリだそうだ。
市場を歩いていても確かに結構な確率で美人さんをみかけた。普通、市場は最も庶民的なところで、気の強そうでこすっからそうなおばちゃんたちがデンっと場を支配していて、耳をつんざくような声で10円、20円のたたかいに勤しんでおられるのだが、ここはなんだかみなさん、おっとりとしていて落ち着きがある。物の値段は固定されているし、ガツガツとした接客も値切りもほとんどみかけない。そしてここの女店主たちの顔をようく眺めていると、鼻がスッと立っていて姿勢がいい。顔の中心がとりやすいというのだろうか。某国の百戦錬磨の女主人たちの鼻はいつも胡坐をかいていてふてぶてしく、生活してんのよ、というような強さがあった。
国が違うと市場の雰囲気もここまで変わってくるのだ。
Chillan(チジャン)
チジャンというチリ中部の町へ来た。ここはコンセプシオンやタルカワーノほどは地震の被害が少ないといわれているが、それでも町の所々で教会や家の壁が崩れ、修復作業をしていた。ぼくが滞在している間も何度か余震があった。
歩道に崩れ落ちている教会の壁。
チジャンでお世話になった宿のオーナーのシルビアさんとパトリシオさん。旅行者はゼロで、僕以外のお客さんはみんな大工さん。みなさん地震で崩れた屋根と壁を修理しに来ていたので、ぼくは、彼らと一週間ここで寝食をともにした。シルビアさんは面倒見のいい人で、「ジュンもみんなと一緒にゴハンを食べないさい」と毎朝、毎晩食べさせてくれた。こんな宿はじめてだ。
チジャンの町を歩いていたら自分を発見。(栗)
チジャンの町を歩いていると、子供たちがよってきた。「地震恐かった?」と聞くと、「うん、でもぼくもう慣れちゃった」とたくましい一声。
チジャンの町の子供たち。
Valdivia
バルディビアという町に来た。この町には昨日夜遅くに不時着したので駅前の安宿に一泊。チェックアウトの前に忘れ物がないか部屋の中を確認していたら、ベッドの下に500ペソコイン(90円)を発見。神様からの贈りものに違いない。
バス停に荷物を預けて町をブラブラしていると、体中にペンキを塗った少年少女たちをたくさんみかけた。「コンセプシオンの地震に募金を募っています。どうかよろしくお願いします。」と町のいたるところで大きな声を出して活動していた。
あ、このお金はここで使いなさい、ということか、と思った。そして、気持ちもう500ペソ足して1000ペソ(180円)寄付することに。でもいっぺんにあげちゃうのもなんだから、細かくくずして町中で頑張ってる若い子達にあげにいこうと思った。
高校と大学の学生が町中で募金活動をしていた。
ここバルディービアは被害はなかったが、ここから数時間北へのぼったチジャン、コンセプシオン、タルカワーノは今も多くの建物が崩れていて援助が必要な状況だ。
顔中にも色々なペンキを。
寄付ありがとうございます!と元気がいい。
地元のこどもたち。お昼休みに。
この日は、授業を使ってまるまる1日募金活動をしている。町の多くの人と交流をもててうれしいと話してくれた。
「私の家族もコンセプシオンに住んでいるんです。みんな無事でよかったです。」と話す地元の大学生。
ちゃんと届けますからね!とうれしい一声。
若い子たちと話していて、「どこの国の人ですか」、と聞かれたので「日本からだよ」と答えると、「地震の国の人だ! 」といわれた。
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