Tuesday, June 16, 2009

キューバの写真⑥

~シエンフエゴ~ 海辺の町、シエンフエゴ。 インフルエンザのおかげでこの町には少し長く滞在。 日中40度近くまであがり、太陽がギラギラと強いので、坊主のぼくは毎日帽子をかぶっていた。 海に飛び込む子供たち。 砂遊びを楽しむ子供たち。 どれくらいまで高く跳べるか競っていた。 シエンフエゴの市場。 海辺で仲良くなった少年。 船を浮かばせて遊んでいた。手の込んだ、よくできた船だ。 彼と1日町を歩いてま わり、オバケが出るというお墓まで連れていってもらった。 メイデーの日はキューバ全土がお祭りだった。この町もお店は全部しまり、広場にたくさんの人が集まっていた。 パレードの様子。 カストロさんのパネル。 大きな広場が人でいっぱい。 音楽がかかると即座に反応して踊るのがキューバ人。 高校生たちでもサルサがすごくうまいので感心してしまう。4人一組で踊っていた。 チェゲバラの帽子をつくる工場。みんなミシンで丁寧につくっている。 町の公園にオバケのような木を発見。子供たちが木にぶら下がって楽しそうに遊んでいた。 キューバでは毎朝マンゴーを食べていた。とにかく甘くてジューシー。

Friday, June 12, 2009

キューバの日記⑥

~ハバナへの戻り~
 外国人は外国人用のバスを使用することを国から義務付けられているが、旅の途中で「トラック」という格安の手段があることを知った。(トラックは乗る時にパスポートをチェックされない) これであれば1000円の旅が30円という目が飛び出るような値段におさえられる。難点は、多くのトラックが早朝4時~6時に出発するということ。トラックとトラックドライバーの調子によって出るか出ないかその日の朝に決まるということ。トラックの荷台に50人ほどトコロテンのように押し詰められ、ペチャンコになってしまうこと。そしてスリや泥棒が多い事、などである。 実際乗ってみると、なんとキューバ人ですら自分のバッグをわが子を守るように抱きしめている。そして、ぼくも彼らを見真似、ザックを足に絡ませ、手荷物は常に腹に抱え、隅に素早く身を沈め、忍者のように気配を消しながら旅をしていた。こんな状況で4~5日旅をしていると、かなりの気力と体力を消耗する。さらに50人近くひしめく乗客の体温で、空気が歪むほど気温が上昇する。まるでこれから牢屋にでもおくられるような、鬱屈とした気分になる。
 トラックが出なかった時は、来たときと同じように列車も使った。前にも書いたように、列車の旅では切符を購入するのが至難の業だ。駅の切符売り場へと足を運ぶと、長蛇の列がうねり駅の外までゆうに飛び出している。恐る恐る、みんなどれくらい待ってるのかと聞くと、「3時間」と力なく答えるのである。どうにかならないものかと一人の係員に聞いてみると、外国人はそこのカウンターで別に登録して買うんだ、と特別カウンターのようなところへと連れていかれる。しかしここでもカウンターのおばちゃんはどうやらお昼ご飯を食べに行ってしまったようで、ゆっくり2時間待たされる。そして戻ってくるなり他の職員と世間話をしながらタバコを一本くゆらせ、気分が整いしだい作業開始という調子なのだ。この国では、ほぼ全職が国の職員である為、サービスなどという言葉は存在しない。そしてそれに国民も慣らされてきたのか、みな恐ろしいほど辛抱強い。文句を言いつつも、時がくるまで岩のようにじっと、頑強に待つのだ。
 キューバではキューバ人のような行動をとろうとすると、とにかく「待つ」必要がある。ぼくが今まで生活してきた環境ではTime is moneyとよくいわれてきたが、キューバでは特にTimeはMoneyではないのである。

Tuesday, June 9, 2009

キューバ写真⑤

~カマグエイ・サンタクララ・トリニダの写真~
キューバではじめて見つけた大きな市場。買い物客でにぎわっていた。
キューバはAjedrez(チェス)がとっても盛ん。子供たちも遊んでいる。
サンタ・クララのチェゲバラ記念碑。軍人たちが軍の研修でたくさん訪れていた。
町を歩くと、壁に色々なプロパガンダをみる。
キューバの最も有名な観光地トリニダ。コロニアル調の町並みは歩いていて気持ちがいい。
トリニダの町。教会の上から。
町の中心。
丘の上に見つけた古い教会跡地。
キューバは道で売られている代表的な食べ物はハンバーガーとピザだが、ごくたまにフィッシュバーガーが売られている。一つ20円。サクサクしていてとても美味しい。久しぶりに違うものが食べれるというのは嬉しいかぎりである。
町に市場がないので、行商が野菜を売りに来る。この人はオクラとマンゴーを売っていた。オクラは一束12円。マンゴーは一つ大きいので8円。
キューバではどんな小さな町でも売られているピザ。一枚20円。大抵その場で焼いてくれて上にトマトソースとチーズが少し乗っかっている。ダンボールの切れ端か本の一ページを破って、包んで渡してくれる。
チェスを楽しむ店。
働け、と宣伝するポスター。
整理整頓・規律をもって働け、というポスター。
引退をしてしまった今でも、彼の人気は衰えることを知らない。最近は新聞に執筆活動をしている。
トリニダの子供たち。
民宿のオーナーのローランドさん。とってもあたたかい人。
トリニダではこの時期になると毎日夕方にスコールが降る。
そして子供たちは雨が降りだすと喜んで外に飛び出てくる。
みんな本当に楽しそうに雨の中で遊んでいる。
犬はびしょ濡れで雨宿りをしていた。

Wednesday, June 3, 2009

キューバの日記⑤

~オルランドさんの話~

チェ・ゲバラ縁の町、サンタ・クララ。ここで泊まった宿のオーナー、オルランドさんと親しくなり、こんな過去の貴重な話を聞かせてもらった。

来月娘さんの結婚をひかえている。娘さんとオルランドさん。

「貧乏にも色々あるけど、お金が意味をもたない、物のない貧しい社会っていうのがあるんだ。ジュン、あの時ほどキューバにとっても、国民にとっても辛い時期はなかったよ。 革命戦争が終ってから、キューバはソビエトに頼って30年間生きてきてしまった。ソビエトに砂糖やニッケルを売って、彼らから石油・ガソリン・車・食べ物、ありとあらゆるものをもらっていた。だけど1991年にソビエトが崩壊してからはそれも全て届かなくなってしまった。石油がなくなるってことはどうなるかわかるかい?ぼくたちは国として石油もとれないし何も生産していなかった。まずガスと電気をとめられてしまったよ。そして政府は1日5時間だけぼくたちに電気をまわしてくれると約束した。でもその電気もいつくるかわからないんだ。昼かもしれないし、夜かもしれない。だからみんないつも電源をつけておいた。そうするといつ電気がくるかわかるからね。時には朝の3時に電気が急につくんだ。その時は家族全員起きて洗濯をしたり、アイロンをかけたり、電気ジャーで野菜を煮たりして、電気で必要なことはその時にやったよ。でもね、電気がないのはまだなんとかなる。ないと大変なのは食べ物だよ。食べ物がないのは今の世の中ではなかなか想像できないかもしれないだろうけど。みんなお金はあるのに買うものがない。1日に1回、なければ2日に1回、配給のベルが公園で鳴るんだ。そうするとみんなカルネ(身分証明書)をもってすごい列に並んだよ。夜中の12時1時でも。1時間、2時間並んで1人ハンバーガー1個しかもらえない。あの時はいつも腹が減って。今なんか、いつでもハンバーガーもピザも買える。種類は少ないかもしれないけど、ものを欲しい時に買えるうれしさっていうのはこの時の経験があったから痛いほどよくわかるんだ。」

ぼくはオルランドさんたちの当時の生活を想像しながら、彼の言葉を反芻していた。人の過去の辛い体験談には、多くの場合、輝かしい成功話にはない人生の含蓄と示唆に溢れている

つづく