Thursday, May 28, 2009

キューバの日記&写真④

~エル・コブレの子供たち~  サンティアゴの町から20kmほど離れたエル・コブレという村を訪れてみた。何気なく訪れてみたこの村は、山羊や馬がたくさんいるのどかなところ。緑が多く、村の中心に小さなかわいらしい教会が一つあり、人々はその周りに集まり生活をしている。 小さな丘があったので登ってみると、頂上は見晴らしがとてもよく、清々しい落ち着きがあった。
 
 丘を降りていると、下の方から賑やかな声が聞こえてきた。なんだろうと近づいてみると、丘の麓に一つの学校を発見。門のあたりをウロウロしていると、中の人に導かれ校長先生に会うことができた。学校を見学してもいいですかと聞くと、写真は撮ることはできないけど、思う存分学校を見学して子供たちと遊んでいってちょうだいと言ってくれた。それからどうしても写真が撮りたかったら、学校の外で体育の授業をするから、その時ならいいわよと許可をくれた。
 
 ここの学校は600人と非常に多く、先生もそれに対し90人いる。一人の先生が丁寧に案内をしてくれて、1年生から6年生の教室をくまなくみせてくれた。教室に入るたびに、驚かされたのは、どこの教室にもカストロやチェ・ゲバラ、シエンフエゴスといったこの国の英雄たちの絵や写真が貼られていること。(他の学校でも同じだった)そして先生のかけ声で子供たちは即座に反応し、"Anivarisario de 50 años de educacíon en revolucíon" (革命50周年記念の教育)と一斉に唱えるのである。教室は全て20人かそれ以下におさえられ、先生は授業によって一人か二人になる。食事は食堂使用料一ヶ月7peso(28円)をのぞいては全てが無料。この日はご飯に豆、トマトの野菜、鳥肉、牛乳、パンなどが用意されていた。全員制服着用が義務付けられ、制服も8peso(32円)で配られる。生徒は午前と午後の二つの時間帯を選択でき(中南米の多くの学校と同じ制度)、朝の6時半~18時まで授業がおこなわれている。コンピュータールームもあり、インターネットは国が認めていないため、タイプの練習、操作の学習が主なようだ。図書館は異様に本が少ない印象だった。(本棚が二つだけ)もともと情報規制の厳しい国ということもあって、国が認めた本のみを置いているようだ。  案内をしてくれている先生が、体育の授業がはじまったから遊びにいきましょうと提案してくれた。ぼくたちは授業に走りこむように参加させてもらうと、先生も子供たちもはじけるような笑顔でむかえてくれた。そして「チーノ!ハポン!オーラ!どこから来たの?!遊ぼう!野球やろう!」と思い思いの言葉を投げかけてくれるのである。ぼくはうれしさのあまり頭が真っ白になり、ただただみんなに手を振って挨拶することしかできなかった。みんなはじめて間近にみるぼくのようなアジア人をジッと見つめてくるのである。授業中もチラチラとぼくを横目でみていて、なかなか集中できないので先生たちには申し訳ないと思った。そして授業が終ると子供たちはまた集まってきて様々な質問をしてくるのである。旅をしていてこのように子供たちに出会える瞬間にぼくは静かな喜びを感じている。そしてぼく自身が、この出会いという不思議な人の行為に導かれているのだと思う。  昔、父と母と車でメキシコの国境を訪れた時のことを思い出した。ある一つの線を境に、人の言葉がかわり、食べ物がかわり、国の名前がかわる。どこまでも続く同じ大地なのに、すぐ目の前でアメリカがおわり、そこからメキシコがはじまるという事実が不思議に思えてならなかった。陸であっても、空間であっても、境界に立っていることほど、緊張と神秘に満ちたものはない。そして出会いとはその境に立つような行為ではないだろうか。子供はぼくがその境の近くに立つと、必ずといっていいほどむこうから近よってきて、話しかけてくれるのである。彼らがこの境につくる壁は、ぼくのつくるそれよりもはるかに低く、鳥のように自由である。金持ちだろうと、貧乏人だろうと、日本人だろうと、キューバ人だろうと、彼らにとってはあまり関係のないこと。彼らはあらゆる属性を無視し、出会ってれるのである。
 授業が終わり、校長先生に挨拶をしにゆくと、生徒たちがぼくに絵をプレゼントしてくれたらしく、旅の思い出にと渡してくれた。彼女は「この学校を訪れた外国人はあなたで三人目。最初はスペイン、次はカナダから。そしてあなたがはじめての日本人。みんなとても喜んでいたわ。遊びに来てくれて感謝してる。本当にありがとう」と、気持ちのいい握手をしてくれた。
つづく

Wednesday, May 27, 2009

キューバの日記&写真③

~野球少年たち~ 中南米はどこへ行ってもフットボール(サッカー)が一番人気のスポーツだが、キューバのスポーツは何といっても野球である。どこの道を歩いていても子供たちは棒切れとペットボトルのキャップを持ってバッターとピッチャーを演じている。女の子も男の子もみな狭い道をうまいことフィールドにみたてて、点数を競って遊ぶのである。彼らは道具がなくても、球がなくてもおかまいなし。なければないで、自分たちでゴミ山からいい塩梅のものを拾ってきて間に合わせてしまう。学校が終るとさっそく制服を着替えて飛び出してくる。そして日が暮れるまでめいいっぱい遊び、晩ご飯の時間になるとお母さんが「ご飯よ!」と呼びにくる。なんて気持ちのいい風景だろう。 路地を歩いていると、子供たちが集まっていたのでなんだなんだと近寄ってみると、なんと牛乳の入っていたビニール袋をテープでまるめて野球の球をつくっていた。これなら当たっても痛くないし、なくなっても惜しくない。ゴミでつくるのでお金もかからない。なんて素晴らしいアイディアだろう。 「バットはないの?」と聞くと、「ないの、だから手がバット。」と健気な答え。みんな裸足で狭い道を思う存分走りまわっていた。

Tuesday, May 26, 2009

キューバの写真②

~サンティアゴ~ Parque Revolucion(革命公園)はどこの町にも必ず一つはある。 サンティアゴの中心から少し離れた住宅地。 昔ブエナビスタのドキュメンタリー映画のなかで、ライクーダーがインタビューで「キューバでは音楽が川の水のように流れている」と言っていた。まさにその夢のような表現にたがわぬところである。信じがたいかもしれないが、路地の交差点に立つと音楽が四方から流れてくることだってある。 おじちゃんたちが気軽に集まってルンバやサルサ、ソンといった音楽を楽しんでいる。
サンティアゴの町の中心。
ここのひとたちはラム酒を飲みながら音楽をきくのが大好きだそうだ。夜になるとセントロに人が集まってくる。 夜は色々なところで踊りがみれる。 そしてどこでも生演奏。 歩いていてよくみかける米国製の古い車。何度も何度も直し、大切に使われている。
宿のオーナーのピラーさん(右)。 仏像を集めるのが趣味。
ピラーさんの旦那さんのノエルさん。Bacardiがラム酒を世界で最初に造ったのがここサンティアゴだそうだ。ラム酒をご馳走になりながら、ラム酒の歴史を教えてくれた。
サンティアゴの子供たち

Friday, May 22, 2009

キューバの日記②

~列車の旅~  列車でハバナから南東の町、サンティアゴへと向かっている。前日、切符を買うのが一苦労で2時間半ほど列に並んでようやく買えた。それだけでヘトヘトだった。係員のおじちゃんにサンティアゴまでどれくらいかかるか、と聞くと15時間から24時間という。意味がよくわからずもう一度詳しく聞いてみると、どうやら電車がオンボロでよく故障してとまるらしい。周りの客にも念のため聞いてみると、「うちの母さんがハバナからサンティアゴへ行った時なんかは二日かかったよ。」と得意気に話していた。  列車は確かに古かった。だが問題は中身だ。なるべく多くの客が座れるように椅子は90度の姿勢正しい硬椅子だ。これはかなり疲れるなあと思った。駅で列に並んでいる時、前の人たちが「カマグエイからサンティアゴの間は盗人が多いから荷物をちゃんとしばらないと駄目だよ」と教えてくれたのでぼくもザックを上の棚にしばっておいた。座席に座り周りをみわたすと外国人はぼくだけだ。  4人向き合いの席で、前におばちゃん二人と隣にお婆ちゃん一人が座ってきた。みなこの物資不足の島のどこでそんなに栄養をとったのか、と首をかしげてしまうくらい恰幅がよい。ぼくは思うに、おばちゃんという人種ほど世間話に長けたものはいない。座席を見つけて座るやいなや、知らないもの同士コンピューターのようなはやさで共通の世事をみつけだして、鰻登りに会話をはずませてゆく。まったくもってその道の達人たちである。さらに、彼女たちは情報通でもある。ぼくは旅の間に何度彼女たちの情報に救われたことか。嵐のような会話を聞いていると、彼女たちはこんなことを教えてくれた。 「あなたわざわざ日本から来たって?うちに泊めてあげたいけど、警察に知られたら牢屋行きなんだよ。前にも知り合いがオーストリア人を泊めて彼は3年間帰ってこなかったよ。だからね、ごめんよ。」 さらに隣のおばさんもこのようなことを教えてくれた。 「うちの息子はハバナで警察のキャプテンをやってんだよ。息子が教えてくれたけどハバナの道には隠しカメラがまだ結構残ってるらしいよ。使われてるかどうかは知らないけどね。」歩いていてまったく気がつかなかった。果たして本当だろうか。今度ハバナを歩くときは注意してみてみよう。  列車は夜の7時半出発予定のところ、8時40分に出発した。ノロノロと進みいっこうにスピードが出ないまま2時間ほどしてまた止まってしまった。どうしたのかと聞くと、反対からくる列車が通過するのを待っていると言っていた。そして1時間ほどしてようやく動き出す、というような調子である。別に急ぎの旅ではないが、この調子だといったい何時間かかるのだろうか。  時間がたつにつれて夜も深くなり、車内はナイフのように鋭い尿のにおいが鼻を突いてくる。それだけではない。酒のにおい、鳥肉のにおい、葉巻のにおい、埃に煙、熱気などがだらしなく混ざり合いたゆたっている。そんな生活臭に刺激されてか、列車はますます機嫌をよくすると、速度が増し、揺れが激しくなってくる。縦に揺れ、横に揺れ、時にはドンと飛びはね、という具合である。そして徐々に速度は熱気を沈め、夜気が温度を押し下げると、疲れきっていたのか、ぼくも鞄を抱きかかえたまま眠りにおちていた。  明け方の何時頃だったのだろうか。後方の座席の大男が酔っ払いながら大声で叫びはじめたのである。 「チクショウ!なんでおれたちはこんな小さな島に閉じ込められちまってるんだ!金もねえし、食い物もいつまでたってもパンとピザだ。警察もくさってる。この列車だってそうだ。なにもかもよくならないのに何で誰も何も言わないんだ!」 みんなどこかで同じようなセリフをもう何度も聞いているといったような様子で寝ぼけ眼に聞き流していた。するとぼくの前に座っていた恰幅のいいおばちゃんがこの大男にも負けないくらいのドスのきいた声で男に向かって言った。 「それならあんたカルネ(身分証明書)でもパスポートでも今すぐここでやぶっちまいな。嫌なんだろ何もかも。あんたねえ、いい体して文句しか出ないのかい。人間にはやれることとやれないことがある。あんたも男だろ。与えられた運命ならその中で死に物狂いでいきてみなよ。酒ばっか飲んで文句ばっかいって。あたしはここで死ぬ。そう決めたんだ。戦争おこす勇気がないからね。弱かったら弱いなりに生きるんだよ!」 大男は一瞬にして黙ってしまった。おばちゃんは目の前でドンとかまえ、薄明かりの差す列車の中を力強く睨んでいた。それは覚悟を決めた人間の眼差しだった。そして彼女の言葉には、長年何度も何度も心の中で自分に言い聞かせ、何層にも塗り重ねてきた力強いあきらめが込められていた。周りは静まりかえり、遠い外を眺めていた。サトウキビ畑が永遠と続き、朝の澄んだ空が広がっている。キューバに来ていまだ触れることがなかった人々の生活の本音を、このオンボロ三等列車の曙にみつけた。 つづく

キューバの写真①

~ハバナ~
ハバナのダウンタウンの風景。
歩いていると政治のプロパガンダがよく目に入る。
こんなのもたくさん。
バティスタ政権から独立した年が1959年。今年はその「革命」の年から50周年記念。1月1日は盛大なお祭があったようだ。
Capitolio。ハバナの中心。
Parque de Revolucion。革命記念公園。
同じくParque de Revolucionにあるチェ・ゲバラの記念碑。右下には"Hasta la victoria. Siempre"(Untill the victory. Always)と書いてある。
町を歩いているとチェ・ゲバラの絵や写真、ポスターがたくさん貼られている。アルゼンチン人のゲバラはキューバ革命でカストロとともに戦ったキューバの英雄である。本名はErnesto Guevara。Cheはアルゼンチンで人を呼ぶときに使われる「おい」や「ねえ」にあたることばで、彼のあだ名もそこから来ている。
キューバのおばちゃん。大きな葉巻を吸っている。
時々電車の駅で売られている豚肉とご飯のお弁当。40円。
みなさん公園で体操。
キューバ人は野球が大好き。どこでも野球をして遊んでいる。
アフリカからの奴隷の物語を表現した踊り。
バスターミナルの壁画。
バケツに書いてあるプロパガンダ。
豆と一緒に炊いたご飯、芋、豚肉の炒め物、トマト。これで80円。
市場でみかけた洗剤。キューバにはとにかく物がない。洗剤もペットボトルを拾ってきてその中に詰めて売られている。
こういったものは観光客の為につくられ、売られている品物。やはりCUCで売られていてとても高い。
町中のアート。
観光客用の市場で売られているアート。
キューバ人はドミノが大好き。道に机を出してどこででもやっている。
道にはこういった古い車がたくさん走っている。キューバ人によると50年前の車も結構走っているという。
サトウキビジュース屋さん。1ペソ(4円)。
裏にサトウキビを搾る機械があったのでみせてもらった。
裏路地 ハバナの猫
El Marza Chuiという学校の子供たち。ハバナは体育館のある学校が少ないので公園で授業をしている。みんな「オーラ!」と元気のいい声で挨拶してくれた。
同じ学校の子供たち。彼らも「どこから来たの!?」とすぐ話しかけてくれた。 別の公園では違う学校の子供たちが課外授業を行っていた。
カリブ海