Tuesday, July 27, 2010

ドロボウ市

この日はドロボウ市と女子プロをみにエル・アルトという山の上の地区にバスでやってきた。中心から20分くらいで着いた。 丘の上からはラパスの町が見渡せる。すごい景色だ。 ラパスは周りに山が囲っていて、ドンブリの底に町の中心がある。ビルがたくさん建っているところがラパスの町の中心だ。 市場には多くの盗品が集まってくる。女性のスリや強盗が多いから気を付けろとよとバスの運ちゃんに注意された。 すごい人、そしてこの古着の山。ここにあるものどれでも$1。 旅人いわく、色々とお宝があるそうだ。先週会ったアメリカ人もかなり古いパタゴニアのフリースを古着の山の奥のほうから見つけたと言っていた。昨日宿で会ったフランス人はいい感じに色褪せた緑色のエアージョーダンを$1で買えてたいそう喜んでいた。 ボリビア人が、ここの市場では豚の耳から車のエンジンまで買えるぞと教えてくれた。 ヨボヨボのおばあちゃんがごっつい機械の部品を売っている。 ぼくも何かいいのがあるかなあと探してみたけどあまりの洋服の多さにギブアップ。根気足りず。確かうちの姉ちゃんはこういうところからお宝を探すのが得意だったなあ。 市場の活気と人ごみの中にいたら、強烈な人間臭で頭がクラクラした。

La Paz

一年ぶりくらいにボリビアの首都、ラパスを訪れる。 ここには1週間ほど滞在した。 喫茶店でチーズケーキを食べていたら、窓から見える道の壁に、ボリビアのおばちゃん(か、おねえちゃん)たちの絵があった。体系がみなさんシュレックだなあ、と頭の中で思っていたら、ちょうど同時に店のラジオにルーファス・ウェインライトのハレルヤがかかりはじめた。なんという偶然か。 確かこの曲のオリジナルはレナード・コーエンだ。 そういえば昔、高校生の時、NYで夜中の2時くらいにラジオ(Z100)を聴いていたら、"Dance me to the end of love"というシブイ曲がかかって、その時それがはじめてCohenの曲だと知ったんだった。

Thursday, July 22, 2010

旅のあれこれ

ぼくはある村や町には最低でも、なるべく4日はいるようにしている。もちろん1日で通り過ぎる町もあるが、4日くらいいないと、なんだかそこにいた気がしない。町にはじめて着いて、荷物を背負ってブラブラと歩いているうちに、宿とかなんとか看板のあるうちを目付けて、そしたらそこが天意に叶ったわが宿だ、ということにいつもしている。 宿に荷物を置くと、きまって宿の周りを何度もウロウロと徘徊する。よく泊まるのは200円~500円の安宿なので、お世辞にも周りは治安がいいとはいえないが、ぼくのようにいつも襤褸切れのような服を着ていて、ヒゲなのか顔なのかよくわからないようなツラをしていると、誰もが一瞥くれて、その後は知らんぷりである。 この頃は、宿に台所があってもちっとも自分で料理をしていない。人に作ってもらう料理が一番美味しいのではないか、というのは実は母の受け売りなのであるが、これがなんだか最近もっともなような気がしてならない。やっぱり地元のおっちゃんおばちゃんの分厚い手で、年季の入った古汚い鍋で、地元の人が何百年と使い親しんできた材料で拵えた料理を食べて、そしてそこの滋養で雲古をする、すなわち、それこそが1日でもその土地で生きるということなのではないだろうか。 それに、ケチケチ旅をしても、どうせ死んだらお金なんて意味がないんだから使えるときに使ってしまえ、と勇んでみたりもする。しかし食べているものが100円、200円の定食なのであまり威張ってもいえないのも事実である。 ぼくは日本人だから、やはり時々日本食が食べたくなるが、幼少時代に日本ですんだ期間が短かったからか、別になくてもこのように地元のものを食べていれば満足できる。刺身も寿司も半年ないし年に一度口にできれば、ああ日本人でよかった、とレゾンデートルの確認作業のようなものもあっさりと終了する。 ただしかし、唯一、インスタントラーメンだけはなくては、どうしても困ってしまう。特に日本製のものでも外国製のものでもどちらでもかまわないのだが、週に一度くらい、野菜も肉も卵もなんにも入っていない素のラーメンが無性に食べたくなるのである。 (これを食べれないのは、ぼくにとって10日の断食よりもつらい) 宿から近かろうが遠かろうが、安くて美味い食堂を見つけるのは、ぼくの旅の楽しみのひとつである。もう何年も同じ事をしてきたので、このことに関してはわりと自信がある、と思う。 そして一度その店を気に入ると、ぼくは好きなものにはわりとしつこいようで、それ以上は探そうとはしないで毎日そこへ通う。すると、その定食屋のおばちゃんも奇特なもので、毎日このうだつの上がらない腹をすかせたアジア人を接客しないといけないものだから、気心がしれてくるに違いない。1日目は挨拶話、2日目は世間話、3日目は身内話、4日目は若干込み入った話と、日に日に彼らの生活圏にとり込まれてゆくのである。 僕の旅はいつも、こんな感じだ。 生活のブルースでいっぱいだ。

Saturday, July 17, 2010

ボリビアの泳げない子供たち

土曜日の週末に、オルーロから1時間ほど離れたところに温泉がわいているということで訪れてみた。温泉といっても日本のような温泉ではなくて、沸いて出る温水をプールにためているホットスパのようなタイプだった。 入場料は150円。 家族で温泉に来ていた。 水遊びを楽しむ子供たち。 鼻から水が入ったー、とべそをかいていた。 プールは25mと同じくらいの大きさで、あまり混んでいなかったので、久し振りに30分ほどクロールを泳いだ。少し休憩していると、なぜかおじちゃんもおばちゃんも子供たちも赤ちゃんも、ぼくのことをボーっとみてる。近くにいた子供に「どうしたの?」と聞くと、「どうやってそうやって沈まないで泳ぐの?」と聞いてくる。すると周りにいた大人たちも子供たちも集まってきて、泳ぎ方を教えてほしいといってきた。 みんな学校で習わないの?と聞くと、プールがないから習えるわけないという。 そりゃあそうだった。今まで行った学校にはプールなんて一つも見かけなかった。海とか行かないの?と聞こうと思ったが、そういえばボリビアには海がない。(昔チリに戦争でとられてしまった。)川もあることはあるが、ボリビアはどこも標高が高いので寒くて泳げそうにない。 「どうやって泳ぎながら息するの?」「ぺチョ(平泳ぎ)はどうやるの?」「みてみて!こう?」と知らず知らずのうちに水泳のクラスがはじまってしまった。ぼくも昔、カルロスに泳ぎ方のフォームを色々教えてもらったから、思い出しながらその通りに教えてみた。 この日は、みんな泳ぎ方が少しわかってうれしかったのか、閉館時間ギリギリまで夢中になって泳いでいた。

Thursday, July 15, 2010

Oruro

ポトシからオルーロという町へくる。 近くに市場があったのでブラブラと歩いてみた。 野菜市場。 ボリビアはジャガイモの種類が多くて有名だ。ジャガイモだけで220種類以上もある。 この右の芋虫みたいなのもジャガイモの一種だそうだ。 最近よく旅人たちが口をそろえたかのように、ボリビアの飯は不味いと嘆いているのをみかけた。そんな会話を何度か聞いていて、内心、自分は味覚に対するストライクゾーンがかなり広いのかもしれない、と思った。

La mina de Potosi 3

おばあさんと別れ、さらに丘を登ること15分、炭鉱で働く人々の家を通り過ぎる。4300mの標高で頭がボウっとして、なかなか足が前に進まない。 炭鉱周辺の生活者から出るゴミの山を横切り、入口へと向かう。 居住区。ここでもアンダーザテーブルを70円ほど渡す。 炭鉱夫の子供たち。外で遊んでいた。 鉱山の中に入り、1時間ほど歩く。先日の鉱山よりも少し規模の小さい鉱山だ。 マリナさんがいつもここには何人かの子供が働いているという。午前中に学校がある子は午後の放課後に、午後授業の子は朝早くから数時間働きに来る。足をすすめると、奥の方で人の気配を感じる。すると、一人の中学生くらいの子がヘッドライトを岩に向けて、金槌をトンカントンカンと叩いていた。マリナさんが「ミルトン?もしかして、あなた?」というと、「うん!」という元気な声が返ってきた。「ジュン。彼わたしの息子の同級生のミルトン。13歳よ。ここで働いて確かもう2年だったわね。」 握手をすると、まだいとけなさが残る顔でニッコリと笑った。 日本でいう中学生のミルトン君(こっちでは第二学校という)。この日は土曜日で学校がないので、朝の8時から仕事をしている。今日は何時くらいまで働くの?と聞くと、多分夕方の6時か7時くらいと答えた。 「壁に黒い色の線が入っているところを崩していくと鉱物がとれるんだ。」 手を動かしながら、炭鉱の仕事について教えてくれた。 大学生のお兄さん、アレクスくん。 ミルトン君が途中道具を取りに行ってくるといって、炭鉱の奥のほうへ行こうとすると、お兄さんに「一人で行くな!」と強く叱られた。炭鉱の奥のほうでは毒ガスが出ているので、必ず道に詳しい人と行動しなければならない。 他の炭鉱夫と働くミルトン君。 ミルトン君のお父さんは農業をしていて、家計に少しでもお金を入れるために働いている。大学へ行く為のお金も貯めていきたいと話してくれた。 「将来はぼくのお兄ちゃんみたいに大学で勉強したいんだ。ぼくだって普通のみんなみたいにたくさん遊んびたい・・・・でもぼくが働かないと、お父 さんもお母さんもお兄ちゃんお姉ちゃんも困っちゃうんだ。食べ物はお父さんが畑をしてるからなんとかなるけど、お金がないと鉛筆も、ノートも、本もサッ カーボールも買えない。」 ぼくはこれまで多くの働く子供たちに出会ってきた。ゴミ拾い、給仕、靴磨き、タバコ売り、麻薬売り、車の窓拭き、キャラメル売り、ジャグラー、花売り、・・・。しかしここまでの重労働はぼくの記憶にない。炭鉱では子供でも大人と同じ額が支払われるとはいえ、これほどまでに危険の伴う労働をしなければならない現実にぼくは打ちのめされていた。自分がもしこの年齢でここで働いたとしたら、重度の労働と熱気と空気の薄さで1時間ももたないと思う。 この日の夜は、彼やマリナさんと別れて宿に戻ってからも、ずっと彼のことを考えていた。

Saturday, July 10, 2010

La mina de Potosi 2

マリナさんと翌日の朝合流し、この日は高齢者や子供たちが働きにくるという鉱山へと連れて行ってもらう。入口で警備のおじちゃんに10ボリビアーノ(130円)をそっと渡すと、何気なく中へ入れてもらえた。 鉱山の入口まで20分ほど傾斜を登る。その途中マリナさんが、この鉱山で一番の高齢者に会わせたいといい、丘の上で黙々と働く一人のおばあさんのところへ連れて行ってくれた。 丘の上で働いていたおばあちゃん。齢72歳。この炭鉱で40年も働いているという。 とても静かな眼をしている方だ、と思った。 学校へは行っていないのでケチュア語しか話せない、とマリナさんが教えてくれた。通訳をしてもらいながら世間話をしている間も、おばあさんは重そうな金槌を手首で振り下ろし、石を砕き、鉱物らしきものを木の籠へ放り投げていた。 「女性は炭鉱の中で働くことは禁じられているの。それは昔から鉱山が男の働く場所で、女性が入ると不運が続き、鉱物が取れなくなると信じられてきたからなの。」マリナさんはおばあさんを見つめながら、そう教えてくれた。 会話の途中、「炭鉱で働くのはつらくはないでしょうか?」という言葉が喉まで出掛かったが、すぐに飲み込んでやめた。浅はかな質問だ、と思って自分を恥じた。人は当たりまえのことを、あえて聞いてみたくなる瞬間がある。でも時にそれは不見識で、失礼にあたるということをぼくは知っているつもりだったのだが。 マリナさんとおばあさんが、ケチュア語で会話をしている間、ぼくが自分の中でそんなつまらない問答をしていると、おばあさんは、その静謐な眼でぼくを覘き、 まるで心を読んだかのようにこう呟いた。「労働は力よりも慣れ。もうわたしはここで働くのが長いから体が慣れてるわ。休み休みだけど、体が動くまで働こうと思う。死んだ夫のところへいけるまでここで働きたい。」と。 ぼくたちはおばあさんと握手をして別れを告げた。その手は、女性の手とは思えないほど固く、酷使され、長い年月による労働の堆積が読めてとれた。 つづく

Thursday, July 8, 2010

La mina de Potosi 1

La Mina(鉱山)へは、ポトシの町からバスで30分ほど山の方へ登ったところにその入口がある。炭鉱は迷路のように入り組んでいて、岩が落ちてきたり、知らない場所に行くと毒ガスなどがでているので、中に入るためにはガイドを雇う必要がある。1日ガイドを雇い、ヘッドライトと作業服を借りて650円。 マリナさんというとても優しいおばちゃんガイドさんに案内してもらった。 炭鉱に入る前に色々と注意事項をうける。 炭鉱の男達は働きながらコカの葉っぱを口に頬張り、眠気、食欲を抑えている。ボリビアではコカの葉っぱは古代から嗜まれてきた。 地元のバスが入口まで運行している。バスを降りて、入口までマリナさんと二人で歩いていく。 いくつもの会社が鉱山の権利を持っていて、その会社を通して働いている人が多い。給料は歩合制で、24時間働く事も可能だし、3時間だけでもいい。とった鉱物の量と質で給料がきまる。 とれた鉱物をトラックに積んでいる。 炭鉱の男たちが寝泊りする宿舎。 グネグネとしたトンネルをマリナさんと話しながらひたすら歩く。 炭鉱の中は水が溜まっているところもあり、長靴が必要。一張羅の作業着と長靴を借りれてよかった。 ティオと呼ばれている炭鉱の神様。ここに気運を願って、炭鉱の家族がお酒やタバコ、コカの葉っぱなどのお供えものをする。 奥のほうにあったティオ。一年に一度、この場所にリャマが生け贄として捧げられ、その血を鉱山の入口にまき、豊作を祈る。 男達がたくさんいる作業場。おじちゃんにコカの葉っぱを差し入れしたら喜んでいた。 口一杯にコカの葉っぱをつめている。これをつめておけば眠気も空腹も感じないとか。 日給はゼロ~30ドル。30ドルはボリビアでは破格の給料だ。しかし毎日鉱山がたくさん取れるということでもない。取れない日は無収入になってし まう。ボリビアでは、公務員の先生の月給が2000ボリビアーノ。(約300ドル)よってここ鉱山での仕事はハイリスク・ハイリターンの博打のような仕事といえる。 何百キロのトロッコを引く男達。すごい砂煙だ。 鉱山の奥の方から取った鉱物。一度ここでおろして、選別してからまた外に運ぶ。空気が薄く、ムアっという熱気で頭がくらくらする。 蟻の巣のような炭鉱の中をトロッコが行き来する。 かけ声をかけて少しずつ進む。超重労働だ。 今まで生きてきて、ここまで過酷な労働現場はみたことがない。 トロッコを押す男達。 後ろではかけ声をかけて押し、前ではロープで引っ張る。坂では勢いと全員の力が必要だ。ぼくも少し手伝わせてもらったが、一人ではびくともしない。 休憩地点で一休み。 ここでは下にダイナマイトをしかけて奥へ奥へ掘っている。 手で掘る作業をする男達。「今日は何時間くらい仕事するの?」と聞くと、「12時間くらいかな。」と言っていた 3時間近く炭鉱に入っていた。熱気と埃と空気の薄さで頭がボウっとしてしまい、出てから1時間は何も考えられなかった。 前に、ウユニの小さな食堂でCNN Españolの記者と仲良くなり、ビールを飲みながら色々と話していた。彼はぼくに絶対ポトシで働く高齢者、子供たちに会ってきてほしいと、その過酷な現実を語ってくれた。 子供たちは、この日ぼくが見学した鉱山とはまた違う鉱山で働いているという。マリナさんにそこへ連れて行ってもらえないかと聞いてみると、そこは外国人は入れないという。「どうしても行きたいからお願いします」と頑張ると、「・・・・・・・わかった。なんとかしてみる。明日の朝9時にオフィスまで来て。」と約束してくれた。 つづく