Thursday, July 22, 2010
旅のあれこれ
ぼくはある村や町には最低でも、なるべく4日はいるようにしている。もちろん1日で通り過ぎる町もあるが、4日くらいいないと、なんだかそこにいた気がしない。町にはじめて着いて、荷物を背負ってブラブラと歩いているうちに、宿とかなんとか看板のあるうちを目付けて、そしたらそこが天意に叶ったわが宿だ、ということにいつもしている。
宿に荷物を置くと、きまって宿の周りを何度もウロウロと徘徊する。よく泊まるのは200円~500円の安宿なので、お世辞にも周りは治安がいいとはいえないが、ぼくのようにいつも襤褸切れのような服を着ていて、ヒゲなのか顔なのかよくわからないようなツラをしていると、誰もが一瞥くれて、その後は知らんぷりである。
この頃は、宿に台所があってもちっとも自分で料理をしていない。人に作ってもらう料理が一番美味しいのではないか、というのは実は母の受け売りなのであるが、これがなんだか最近もっともなような気がしてならない。やっぱり地元のおっちゃんおばちゃんの分厚い手で、年季の入った古汚い鍋で、地元の人が何百年と使い親しんできた材料で拵えた料理を食べて、そしてそこの滋養で雲古をする、すなわち、それこそが1日でもその土地で生きるということなのではないだろうか。 それに、ケチケチ旅をしても、どうせ死んだらお金なんて意味がないんだから使えるときに使ってしまえ、と勇んでみたりもする。しかし食べているものが100円、200円の定食なのであまり威張ってもいえないのも事実である。
ぼくは日本人だから、やはり時々日本食が食べたくなるが、幼少時代に日本ですんだ期間が短かったからか、別になくてもこのように地元のものを食べていれば満足できる。刺身も寿司も半年ないし年に一度口にできれば、ああ日本人でよかった、とレゾンデートルの確認作業のようなものもあっさりと終了する。 ただしかし、唯一、インスタントラーメンだけはなくては、どうしても困ってしまう。特に日本製のものでも外国製のものでもどちらでもかまわないのだが、週に一度くらい、野菜も肉も卵もなんにも入っていない素のラーメンが無性に食べたくなるのである。 (これを食べれないのは、ぼくにとって10日の断食よりもつらい)
宿から近かろうが遠かろうが、安くて美味い食堂を見つけるのは、ぼくの旅の楽しみのひとつである。もう何年も同じ事をしてきたので、このことに関してはわりと自信がある、と思う。 そして一度その店を気に入ると、ぼくは好きなものにはわりとしつこいようで、それ以上は探そうとはしないで毎日そこへ通う。すると、その定食屋のおばちゃんも奇特なもので、毎日このうだつの上がらない腹をすかせたアジア人を接客しないといけないものだから、気心がしれてくるに違いない。1日目は挨拶話、2日目は世間話、3日目は身内話、4日目は若干込み入った話と、日に日に彼らの生活圏にとり込まれてゆくのである。
僕の旅はいつも、こんな感じだ。 生活のブルースでいっぱいだ。
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