ポパヤンでは毎日雨の日が続いていて、強い驟雨が降ってはやんでと落ち着かないので、仕方なく宿でつくねんとしていた。こういう時こそ晴耕雨読だ、とザックの中にある本を広げてみると、現在所持本は4冊。一冊はHoracio Quirongaというアルゼンチン人作家のCuentos de la selva (邦題:森の話)というスペイン語の本。2冊目はブラジル人とボリビアで交換したPaulo CoelhoのNa Margem do rio Piedra eu sentei e chorei(邦題:ピエドラ川のほとりで私は泣いた)というポルトガル語の本。三冊目は英書で、チリの日曜市で掘り出したJack London大先生のホワイトファング(邦題:白牙)。そして4冊目はお父ちゃんに日本で買ってもらってブラジルのクニに持ってきてもらった、沢庵師匠の「不動智神妙録」。
暇をもてあまして、色々な本をぼんやりと眺めていると、ふと気付いたことがあった。
西洋の言葉は、面積のわりには情報が少ない言語だと思った。それに比べて漢字は小さい面積に多くの意味をあらわすのに適している。沢庵さんの1ページ、内容の濃いこと。
そういえば中学生の時に、週4~5枚のレポートを毎度書かされていたが、英語は筆記体で斜めに書くとキレイだと誉められるばかりでなく、たいした内容でもないのにやたらとページ数が稼げて、これは便利な言語だと思ったことがあった。
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