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子供たちは大喜びでバケツや網を持って、目的地の川まで走ったりスキップしたり。
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バケツを太鼓のようにして、みんなで歌を歌いながらすすむ。
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みんなでつくったこの村の表札をみせてくれた。
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先生がこの土地の木の種類や、歴史を歩きながら教えてくれている。
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もうすぐ川につくよ-、と子供たち。学校から歩いて15分。
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「川の水は美味しいからペットボトルに入れて持ってかえるの」、とべッティーちゃん。
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木でできた橋を渡り反対側へ。
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コチャワスの川に到着。みんなトムソーヤになった気分。
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川の土や砂利を持ってかえって、化石や鉱物が混じっていないかをみる。なんかみんな、すごく楽しそう。
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砂利がたくさん入ったバケツを運ぶのは男の子の役目。
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クラスに戻り、ハイメ先生が、「はい、では午後の授業では、外でどのようなものをみましたか? 見たものを前に出て教えてください。」と生徒全員に質問した。みんな、うーん、えーと、となかなか前に出てくる子がいない。
一人の男の子がようやく前に出てきて、「ぼくは木をたくさん見ました。」というと、 みな思い出したかのように手を挙げて「私はお花をみました。」、「ぼくは大きな山と川をみました。」と続いた。
するとハイメ先生が、さらにこんな質問をした。
ハイメ先生: 「見ることとは、どういうことでしょうか?」
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バケツを太鼓のようにして、みんなで歌を歌いながらすすむ。
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みんなでつくったこの村の表札をみせてくれた。
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先生がこの土地の木の種類や、歴史を歩きながら教えてくれている。
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もうすぐ川につくよ-、と子供たち。学校から歩いて15分。
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「川の水は美味しいからペットボトルに入れて持ってかえるの」、とべッティーちゃん。
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木でできた橋を渡り反対側へ。
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コチャワスの川に到着。みんなトムソーヤになった気分。
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川の土や砂利を持ってかえって、化石や鉱物が混じっていないかをみる。なんかみんな、すごく楽しそう。
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砂利がたくさん入ったバケツを運ぶのは男の子の役目。
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クラスに戻り、ハイメ先生が、「はい、では午後の授業では、外でどのようなものをみましたか? 見たものを前に出て教えてください。」と生徒全員に質問した。みんな、うーん、えーと、となかなか前に出てくる子がいない。
一人の男の子がようやく前に出てきて、「ぼくは木をたくさん見ました。」というと、 みな思い出したかのように手を挙げて「私はお花をみました。」、「ぼくは大きな山と川をみました。」と続いた。
するとハイメ先生が、さらにこんな質問をした。
ハイメ先生: 「見ることとは、どういうことでしょうか?」
子供たち: 「.......????」
子供たち: 「見ることとは、目で何かを見ることです。」
ハイメ先生: 「目で何を見ているのですか?」
子供たち: 「......? 木や川や山です。」
ここで、先生がこのように切り出した。「みんなは自分の目で、外の世界を見て、木や川や山を見ている。そして、それを言葉にして、それらの名前を学んでいる。だけど、同時にみんなは外を見ながら、自分という人間が誰か、ということを見ているんです。自分がどのような人間か、自分は強いのか弱いのか、大きいのか小さいのか、動くのが早いのか遅いのか。見るということは自分を知るための大切な行為なのです。世界をよく見て、自分という人間をこれからもよく知ってください。」
ハイメ先生は、とても哲学的なことを、子供たちに通じるように、言葉を選んで丁寧に教えていた。そして子供たちも先生の言葉に熱心に耳を傾け、自分という人間への興味に目をキラキラと輝かせているのがわかった。
ぼく自身も、旅を続け、その土地の人を見てきて気付かされたことがある。それはぼくが見ているのだけれど、同時に見られている、ということであった。人を見ることで見られる、それはまるで鏡の中の自分を見ているような神妙な感覚である。そして、きっと人は、この「見れば見るほど、見られる」という不思議なパラドックスの中に、己の片鱗を少しずつ見つけてゆくのではないだろうか。
子供たち: 「見ることとは、目で何かを見ることです。」
ハイメ先生: 「目で何を見ているのですか?」
子供たち: 「......? 木や川や山です。」
ここで、先生がこのように切り出した。「みんなは自分の目で、外の世界を見て、木や川や山を見ている。そして、それを言葉にして、それらの名前を学んでいる。だけど、同時にみんなは外を見ながら、自分という人間が誰か、ということを見ているんです。自分がどのような人間か、自分は強いのか弱いのか、大きいのか小さいのか、動くのが早いのか遅いのか。見るということは自分を知るための大切な行為なのです。世界をよく見て、自分という人間をこれからもよく知ってください。」
ハイメ先生は、とても哲学的なことを、子供たちに通じるように、言葉を選んで丁寧に教えていた。そして子供たちも先生の言葉に熱心に耳を傾け、自分という人間への興味に目をキラキラと輝かせているのがわかった。
ぼく自身も、旅を続け、その土地の人を見てきて気付かされたことがある。それはぼくが見ているのだけれど、同時に見られている、ということであった。人を見ることで見られる、それはまるで鏡の中の自分を見ているような神妙な感覚である。そして、きっと人は、この「見れば見るほど、見られる」という不思議なパラドックスの中に、己の片鱗を少しずつ見つけてゆくのではないだろうか。