Friday, March 9, 2012

自然の近さ、人の近さ

引っ越してきて、一か月が経つ。
近頃、地元のガキンチョたちをつかまえて英語を教えはじめたので、町まで車で出ることが多くなった。

車は冬のシーズンだけ屋根の上の雪が落ちてくるのを警戒して、15分ほど離れたところにとめてある。今住む大甲という集落から甲まで歩くその間、左手には丘の下に緩やかな棚状の田んぼが続き、右手には豊饒な内浦の海が広がっている。 ぼくは海のそばで暮らしたことはいままでないが、ここの海は子供の頃ミシガンで眺めてきた湖とよく似ていて、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。

引っ越してきて間もない頃は道を歩いていると、遠くで作業している人たちがみな手をとめ、ぼくをまじまじと見てくることがよくあった。 この遠くからの目は、地元の人間が見慣れないものに向けるある種独特の視線であることをぼくはよく知っている。旅で何度も経験してきたことだ。 人間が放つ視線の度合いとはすなわち、その人が保つ他人との距離感ではないだろうか。南米の片田舎をひとり歩いていたときも、みたことのないアジア人の顔を恐れる村があった。その時彼らは、「早くこの土地から出ていけ」と、語ることなく目で語っていた。  しかし、ここの人たちの視線はそれとは似て非なるものだった。 確かにおじいさんおばあさんたちは目を見開いて、遠くからおやーとこちらをみていたが、その視線からはけっして人を訝しんだり、他人を疎外するような冷たさは感じられなかった。むしろ、新しい人間の足音を懐かしんでくれているようでもあった。

天気がよい日は、道で井戸端会議をしているおじいさんおばあさんによく出会う。(一本道なので避けれない) 最近はぼくを見慣れてきたせいか、挨拶を交わすと、「あんたさん、どこの人かいね?」 と声をかけてもらえるようになった。 そして、こっちで暮らすために横浜から引っ越してきた経緯を伝えると、とても喜んでくれて、その情報が次の日や、次の次の日に色々なところで噂として流れていた。 考えてみれば、ここの土地の人は、ほとんどが先祖代々土地を継承して住んできた人か、もしくはお嫁さんとして引っ越してきた人かのどちらかだ。そしてここは都会のように、さっぱりとした人間関係というものは存在しない。隣三軒両隣どころではなく、集落全体3代前からの付き合いという、気の遠くなるような時間と思い出の彼方に生きている。そんな重厚な人間関係の綾の中に、わけのわからない男がある日突然現れて、村を毎日呑気に歩いているのだから噂になるのも無理はない。

それぞれの関係が近ければ、またそれに相応して人同士の間合いも変わってくるのだろう。 この前、近所に挨拶まわりをしたときも、普通は家のチャイムをおして家主が外へ出てくるのを待っているところを、相方はチャイムも押さず、勝手に玄関をあけて、中に入って「すいませーん」と大声で叫んでいた。 しかもどこの家も鍵をかけていない。 ここはまるでキューバのようだ、と思った。 

もちろん、人同士の距離が近い社会に身を投じるということは、それなりの責任と役割をあてがわれる。集落には「斑」ごとの仕事があり、ゴミの管理やお金の徴収などもしてゆかなければならない。夏には若い人たちが中心になり、祭りで御輿をかつぐこともある。甲には青年団の集まりがあり、地域の為のボランティアもしてゆく。 都会にいる頃は、なるべく自分の人生に集中できるようにと避けてきた社会的な参加を、ここではできる範囲で担ってゆかなければならない。 あたりまえかもしれないが、ローカルをもつということは、ある種固定された環境に身をおくということ。 その場所の自然と一緒に暮らしてゆく覚悟と、人とうまく生きてゆくさりげない知恵のようなものが必要になってくるのかもしれない。

先週、寒さが少し和らいだある日の朝、足の悪い近所のおばあさんが、杖をついてほうれん草を持ってきてくれたことがあった。ぼくたちにどうしても食べさせたいと思ったらしく、わざわざ丘の上の畑まで掘りにいってくれたのだ。 このほうれん草の美味しいこと。

ここの自然と人間関係は、まるで滋養のように、じんわりと効いてくる。

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