Thursday, February 4, 2010
Back to Pirapo②-ピラポの中心へ-
工藤家にて一週間泊めさせてもらった後、マナミさんにJICAのボランティアの人と、ピラポの村の日系人職員を紹介してもらった。そして、その人たちから、うまくJICA施設の余っている部屋とベッドを借りれる事ととなり、ここに1ヶ月半ほど滞在させてもらえることとった。マナミさんの勧めで、ピラポの村の中心には若い子がたくさんいてそっちの方が絶対エネルギッシュで楽しいから、とわざわざ人を紹介してくれたのだった。
なんて感謝したらいいだろう。
ピラポの中心。道路が赤土ではなく、ちゃんとアスファルトが敷かれている。
JICAボランティアの施設。なんと一軒家。キッチンもついていて、シャワーもついていて、部屋もいくつもあった。ここの使われてない一室に入らせてもらった。
ピラポでは毎週土曜日に日本語学校があるので先生のお手伝いなどをして学校に通わせてもらった。平日は日系人が営む農家で働かせてもらい、ご飯を食べさせてもらった。夏の暑い時期の農作業はかなりハードだ。20kg~30kgのズタ袋をトラックに積んだり、降ろしたり、麦の種を乾かしたり、雑草を刈ったり、石灰をまいたり、毎日何かしらやることがある。最初は久しぶりの肉体労働に体がビックリしていたが、毎日従事していると体がだんだん慣れてくる。このような農作業には、体を目一杯動かすことの気持ちよさを思い出せてくれるものがあった。そして同時に、お金ではなく、食べることと直結した職業の気持ちよさのようなものも感じた。
ぼくはこういった重労働をする時は、いつもなるべくしゃべらないで黙々と仕事をするようにしている。しゃべると弱音を吐きそうになるし、弱音を吐くとなんとなく自分が嫌になる。心を空っぽにして、終ったあとにこんなもんか、と思えば気持的にいつも楽だからだ。そのおかげか、仕事をしていると周りで「あのハポネスちっちぇえがフエルテだ(強い)」といって普通に扱ってもらえたのだった。
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