ブルース・チャットウィンの「In Patagonia」をちびりちびり味わいながら読んでいる。
これは彼の南アルゼンチンでの一文。
「リオピコの空色の塗装されたホテルは、利益を得るというもっとも基本的な考えに欠けたユダヤ人一家によって経営されていた。部屋は中庭のまわりにごちゃごちゃとあって、中庭には給水塔やさかさにたてた瓶で囲った花壇があり、一面に毒々しいオレンジ色のユリが咲いていた。ホテルの主人は黒い服を着た、堂々たる、しかし悲しみに満ちた女性だった。彼女のまぶたは重く、ユダヤ人の母親としての情念をもって、長男の死を悼んでいるのだった。息子はサキソフォン奏者だった。コモドロリバダビアへ行き、そこで胃癌のために死んだ。彼女はイバラのトゲで歯をほじりながら生きることのむなしさを笑った。
2番目の息子カルロス・ルベンはオリーブ色の肌を持ち、ユダヤ人特有のちかちかと燃えるような眼差しをしていた。彼女は外の世界にあこがれ、すぐにもその中に消えてゆくつもりだった。娘たちは室内ばきをはき、よく磨かれた、がらんとした部屋を音もなく歩いた。女主人は、私の部屋にタオルとピンクのゼラニウムを置くように命じた。
翌朝、私は支払をめぐって大口論をした。
『部屋はいくらですか?』
『いりません。お客さんがねむらなかったのなら、ほかに誰も泊まらなかったわけですから』
『食事はいくらですか?』
『いりません。お客さんがいらっしゃるなんて、どうして私たちにわかります?自分たちのためにつくったんですから』
『では、ワインはいくら?』
『いつもお客様にはワインを出すことにしてるんです』
『マテ茶は?』
『マテ茶は無料です』
『では何をお払いすればいいんです?残るのはパンとコーヒーだけでしょう』
『パンの代金は受け取れません。でも、カフェオレは外国の飲み物ですから、それだけはらっていただきましょう。』
太陽が昇った煙突から、薪を燃やした煙がまっすぐに立ち昇っていた。リオピコはかつて新ドイツとして植民化されたところで、家々はドイツ風の外観を呈していた。ニワトコの花が揺れて板壁をこすっている。柵の横から、伐採トラックが山に向かって出発していた。」
夜な夜な、頭が能登とパタゴニアを行き来していた。
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