画像は少し粗いが、カエルの顔や手足をよく観察できる。
Monday, April 30, 2012
畑のカエル
画像は少し粗いが、カエルの顔や手足をよく観察できる。
Friday, April 27, 2012
お弁当①
一日を数値化
いつも感覚で生きているので、たまには生活を数値化してみようと思い、この日は頭の中でメモをとりながら生活してみた。結構面白かった。(この前は、昔自分の中でよくやっていた、朝から目にはいったものを順番に100まで覚えていく、というやつをやった。久しぶり頭がつかれた)
日にち: 4/24
起床時間: 7:10
飲んだ水の量: 1.5Liter
読んだ本: 2冊
一つのことをじっくり考えた時間: 40分
コーヒー: 2杯
神棚に参拝: 1回
読んだ本のページ: 415ページ
ストレッチ時間: 5分
深呼吸した回数: 10回
歯を磨いた回数: 3回
髭を剃った回数: 2回
鏡をみた回数: 6回
帽子がえ: 3回
カレンダーみた回数: 8回
あくびした回数: 5回
台所へいった回数: 17回
ラヂオ(スペイン語)を聴いた時間: 15分
観たテレビの時間: 8分
車の走行距離: 40km
使ったお金: 1580円
歩いた距離: 2.6km
歩数: 3600歩
家から外に出た回数: 3回
話した人の人数: 14人
聞いた音楽の数: 5曲
聞いた音楽の時間: 21分
受けた郵便: 2通
電話をかけた回数: 2回
電話を受けた回数: 1回
メールの送信数: 2回
メールの受信数: 1回
印刷した紙の枚数: 15枚
ラッキーと思った回数: 3回
ありがとうと言った回数: 7回
撮った写真の枚数: 8枚
追い出したカメ虫の数: 8匹
ギターさわった回数: 6回
自転車乗った回数: 1回
サッカーボール触った回数: 2回
鉛筆削りを回した回数: 11回
日にち: 4/24
起床時間: 7:10
飲んだ水の量: 1.5Liter
読んだ本: 2冊
一つのことをじっくり考えた時間: 40分
コーヒー: 2杯
神棚に参拝: 1回
読んだ本のページ: 415ページ
ストレッチ時間: 5分
深呼吸した回数: 10回
歯を磨いた回数: 3回
髭を剃った回数: 2回
鏡をみた回数: 6回
帽子がえ: 3回
カレンダーみた回数: 8回
あくびした回数: 5回
台所へいった回数: 17回
ラヂオ(スペイン語)を聴いた時間: 15分
観たテレビの時間: 8分
車の走行距離: 40km
使ったお金: 1580円
歩いた距離: 2.6km
歩数: 3600歩
家から外に出た回数: 3回
話した人の人数: 14人
聞いた音楽の数: 5曲
聞いた音楽の時間: 21分
受けた郵便: 2通
電話をかけた回数: 2回
電話を受けた回数: 1回
メールの送信数: 2回
メールの受信数: 1回
印刷した紙の枚数: 15枚
ラッキーと思った回数: 3回
ありがとうと言った回数: 7回
撮った写真の枚数: 8枚
追い出したカメ虫の数: 8匹
ギターさわった回数: 6回
自転車乗った回数: 1回
サッカーボール触った回数: 2回
鉛筆削りを回した回数: 11回
Wednesday, April 25, 2012
耕耘機と山菜デビュー
Tuesday, April 24, 2012
折りたたみ自転車
東京の友人、新ちゃん&ミサトちゃん夫妻からお祝いで、折りたたみ自転車をいただいた。
奥能登という僻地に住む我々にとって、自転車があると生活の幅がグンと広がる。
新ちゃん&ミサトちゃん、本当にありがとう。 感謝です。
「くりばやしさーん、自転車が届きましたよー。」と宅急便のおばちゃん。こんな箱でした。
中から取り出してみると、こんな小っちゃく折りたたまれたナイスな自転車が。
ハンドルを上にあげて、ペダルをつけて。梱包材量を取り除く。
タイヤの空気を入れ、ブレーキのネジを締めたり、ライトを取り付けたりした。
うーん。この形と色かっちょいー。
朝に到着して、午後には試運転できたので、3時間くらいで調整できた。
週末は相方と乗り回してみよう。
奥能登という僻地に住む我々にとって、自転車があると生活の幅がグンと広がる。
新ちゃん&ミサトちゃん、本当にありがとう。 感謝です。
朝に到着して、午後には試運転できたので、3時間くらいで調整できた。
週末は相方と乗り回してみよう。
Sunday, April 22, 2012
IN PATAGONIA ②
久しぶりに、紀行文を読んで衝撃を受けた。ケロアックの「オン・ザ・ロード」以来だと思う。深い視点での旅がテンポよく進んでゆくのが心地よく、いつまでも終わらないでほしいと、惜しみ惜しみ少しずつ読んできたが、とうとう終わってしまった・・・。
これはパタゴニア最南端の原住民とイギリス人宣教師についての興味深い記述だ。
「トーマス・ブリッジズは小柄ながら姿勢がよく、神の摂理を信じ、危険を恐れぬ人物だった。孤児だったトーマスはパタゴニア伝道協会の書記をやっていたジョージ・パッケンハム・デスパードというノッティンガムシャー州の聖職者の養子になった。
(略)・・・若きトーマス・ブリッジは、ジョージ・オッココという名のインディオのそばに座って、辛抱強く耳を傾け、ダーウィンが聴く耳を持たなかったヤガン語を習得していった。自分でも驚いたことに、彼は、このような『原始的』な人々が持っていようとはだれも予想しなかった複雑な言語構造や語彙を明らかにしていった。十八歳で彼は辞書をつくることを決心した。辞書があれば『彼らと話ができ、彼らにキリストの愛を教えることもできるだろう』と考えたのである。この途方もない作業は、彼が死を迎える一八九八年にようやく完了した。ヤガン語の独特な表現が失われる前に、彼は三万二千語の言葉を集めた。
(略)・・・私は大英博物館でブリッジズの手書き原稿を手に取ってみたことがある。
(略)・・・ヤガン語の迷宮の中で、彼が福音書の抽象概念をあらわす言葉を見つけることに絶望したことをわれわれは知っている。
(略)・・・ブリッジズのジレンマはよくあるものである。『原始的』言語の中に道徳観念を表す言葉が見出せないとき、多くの人はそのような概念は存在しないものと見なす。しかし『良い』とか『美しい』といった西洋思想におけるもっとも本質的な概念は、具体的な事物に根差していないかぎり意味をなさない。初めて言葉を使った者はまず周辺にある素材に名前をつけ、それから抽象的な概念を示唆するためにそれを暗喩に変換した。ヤガン語、そしておそらくあらゆる言語は航行システムのような展開をする。事物に名前をつけることは位置を定めることである。それらを並べたり比較したりすることで、話し手はそれが次にどうなるかということを示す。ブリッジズがヤガン語の暗喩の領域にまで踏み込んでいたなら、彼の仕事はけっして完了することがなかっただろう。この辞書にのこされたものだけでも、彼らの知性を充分推し測ることができる。
『単調さ』という言葉を『男友達がいないこと』と定義する人々を、われわれはどうとらえたらよいのだろうか。また『意気消沈』という言葉を、カニがもっとも傷つけられやすい季節、つまり古い殻を脱皮して新しい殻ができるのを待っている時期とむすびつけるような人々を、どう考えたらよいのだろうか。
ここにはいくつかのヤガン語の同義語を挙げてみよう。
みぞれ-魚のうろこ
ニシンの群れ-粘液
目の前の小道に落ちて行く手をふさぐからみ合った木の枝-しゃっくり
燃料ー燃えるものー癌
季節外れのムラサキガイ-皺くちゃの皮膚-老年
ヤガン語の連想には私の理解を超えるものがある。
オットセイ-殺された人の親類
(略)・・・ヤガン語では動詞が重要な位置を占めている。筋肉のあらゆる動き、自然や人間のあらゆる動きをとらえるために、ヤガン族はドラマティックな動詞を使った。イーヤという動詞は『カヌーをひらひらした海草につなぐ』ということを意味する。オーカンは『水にたゆたうカヌーで眠る』ことだ。(これは小屋の中で浜辺で、または妻のかたわらで眠るということとは全然違う)。ウコーモナは『特にどれとめざすことなく魚の群れにモリを投げること』、ウェイナは『壊れた骨やナイフの刃のようにだらしないこと、または簡単に動くこと』『浮浪者や迷子のようにさまよい歩くこと』(略)・・・となっている。
(略)・・・ヤガン族は生まれながらの放浪者だった(略)・・・『彼らは落ち着きのない渡り鳥のようなものだ。移動しているときのみ、彼らは幸福と心の平安を感じるのである』 また彼らの言葉には船乗り特有の時間と空間に対する執着が現れている。というのも、五つまで数えることもできなかったにもかかわらず、彼らは高い精度で基本方位を定義し、季節の変化から正確な時を知っていたからである。たとえば次のようなものがある。
イウ―アン-若いカニの季節(親が腹に子を抱えているとき)
ウーイーウーア-子を巣立たせる季節(『噛むのをやめる』という動詞から)
ハクーレウム-樹皮がゆるみ樹液が上がってくる
セカナ-カヌーづくりの季節、シギが鳴き交わす季節(セクセクという音はシギの声と、カヌー職人がブナの樹皮を幹から剥がすときの音を真似たものである)
トーマス・ブリッジズはヤガという地名からヤガンという言葉を作りだした。インディオ自身は自分たちのことをヤマナと呼んでいる。動詞として使われる場合、ヤマナには『生きる、息をする、幸福である、病気から回復する、正気である』などの意味がある。名詞として使われる場合には動物に対しての『人間』という意味になる。接尾語がついて手という意味になると、ヤマナは人間の手、つまり死をもたらす爪に対して、友情の中で差し延べられる手ということになる。」(Chatwin 1977、210-215)
これはパタゴニア最南端の原住民とイギリス人宣教師についての興味深い記述だ。
「トーマス・ブリッジズは小柄ながら姿勢がよく、神の摂理を信じ、危険を恐れぬ人物だった。孤児だったトーマスはパタゴニア伝道協会の書記をやっていたジョージ・パッケンハム・デスパードというノッティンガムシャー州の聖職者の養子になった。
(略)・・・若きトーマス・ブリッジは、ジョージ・オッココという名のインディオのそばに座って、辛抱強く耳を傾け、ダーウィンが聴く耳を持たなかったヤガン語を習得していった。自分でも驚いたことに、彼は、このような『原始的』な人々が持っていようとはだれも予想しなかった複雑な言語構造や語彙を明らかにしていった。十八歳で彼は辞書をつくることを決心した。辞書があれば『彼らと話ができ、彼らにキリストの愛を教えることもできるだろう』と考えたのである。この途方もない作業は、彼が死を迎える一八九八年にようやく完了した。ヤガン語の独特な表現が失われる前に、彼は三万二千語の言葉を集めた。
(略)・・・私は大英博物館でブリッジズの手書き原稿を手に取ってみたことがある。
(略)・・・ヤガン語の迷宮の中で、彼が福音書の抽象概念をあらわす言葉を見つけることに絶望したことをわれわれは知っている。
(略)・・・ブリッジズのジレンマはよくあるものである。『原始的』言語の中に道徳観念を表す言葉が見出せないとき、多くの人はそのような概念は存在しないものと見なす。しかし『良い』とか『美しい』といった西洋思想におけるもっとも本質的な概念は、具体的な事物に根差していないかぎり意味をなさない。初めて言葉を使った者はまず周辺にある素材に名前をつけ、それから抽象的な概念を示唆するためにそれを暗喩に変換した。ヤガン語、そしておそらくあらゆる言語は航行システムのような展開をする。事物に名前をつけることは位置を定めることである。それらを並べたり比較したりすることで、話し手はそれが次にどうなるかということを示す。ブリッジズがヤガン語の暗喩の領域にまで踏み込んでいたなら、彼の仕事はけっして完了することがなかっただろう。この辞書にのこされたものだけでも、彼らの知性を充分推し測ることができる。
『単調さ』という言葉を『男友達がいないこと』と定義する人々を、われわれはどうとらえたらよいのだろうか。また『意気消沈』という言葉を、カニがもっとも傷つけられやすい季節、つまり古い殻を脱皮して新しい殻ができるのを待っている時期とむすびつけるような人々を、どう考えたらよいのだろうか。
ここにはいくつかのヤガン語の同義語を挙げてみよう。
みぞれ-魚のうろこ
ニシンの群れ-粘液
目の前の小道に落ちて行く手をふさぐからみ合った木の枝-しゃっくり
燃料ー燃えるものー癌
季節外れのムラサキガイ-皺くちゃの皮膚-老年
ヤガン語の連想には私の理解を超えるものがある。
オットセイ-殺された人の親類
(略)・・・ヤガン語では動詞が重要な位置を占めている。筋肉のあらゆる動き、自然や人間のあらゆる動きをとらえるために、ヤガン族はドラマティックな動詞を使った。イーヤという動詞は『カヌーをひらひらした海草につなぐ』ということを意味する。オーカンは『水にたゆたうカヌーで眠る』ことだ。(これは小屋の中で浜辺で、または妻のかたわらで眠るということとは全然違う)。ウコーモナは『特にどれとめざすことなく魚の群れにモリを投げること』、ウェイナは『壊れた骨やナイフの刃のようにだらしないこと、または簡単に動くこと』『浮浪者や迷子のようにさまよい歩くこと』(略)・・・となっている。
(略)・・・ヤガン族は生まれながらの放浪者だった(略)・・・『彼らは落ち着きのない渡り鳥のようなものだ。移動しているときのみ、彼らは幸福と心の平安を感じるのである』 また彼らの言葉には船乗り特有の時間と空間に対する執着が現れている。というのも、五つまで数えることもできなかったにもかかわらず、彼らは高い精度で基本方位を定義し、季節の変化から正確な時を知っていたからである。たとえば次のようなものがある。
イウ―アン-若いカニの季節(親が腹に子を抱えているとき)
ウーイーウーア-子を巣立たせる季節(『噛むのをやめる』という動詞から)
ハクーレウム-樹皮がゆるみ樹液が上がってくる
セカナ-カヌーづくりの季節、シギが鳴き交わす季節(セクセクという音はシギの声と、カヌー職人がブナの樹皮を幹から剥がすときの音を真似たものである)
トーマス・ブリッジズはヤガという地名からヤガンという言葉を作りだした。インディオ自身は自分たちのことをヤマナと呼んでいる。動詞として使われる場合、ヤマナには『生きる、息をする、幸福である、病気から回復する、正気である』などの意味がある。名詞として使われる場合には動物に対しての『人間』という意味になる。接尾語がついて手という意味になると、ヤマナは人間の手、つまり死をもたらす爪に対して、友情の中で差し延べられる手ということになる。」(Chatwin 1977、210-215)
Thursday, April 19, 2012
一日フォー屋さん②
相方は朝の5時に起きて仕込み。小生は寝坊して、7時にフォーの朝ごはんをいただく。
波並(はなみ)で花見、というイベント。手作り感満載。会場は奥の方に提灯がかかっている場所。
駐車場は近くの丘の上の神社。
出店ブースたくさん。ライブや抽選会もある。
一番左が中国人が出店していた手作り茹で餃子屋さん。
真ん中が沖縄の軽食屋さん。サーターアンダギーや野菜スープを出していた。(どれも絶品!)
そして右のお店がぼくたちのフォー屋さん。
ガートさんというピアノのうまいミュージシャンがきていた。
11時くらいになるとゾロゾロ人が集まり始めた。
こっからはテンヤワンヤで、行列ができて、50食があっという間に売れてしまった・・。
片付けも終わって、一息ついていたら親戚の子供が遊びにきていた。
沖縄、中国、ベトナム、イギリス、オーストラリア、台湾とインターナショナルなイベントで、友達ができて、笑顔がたくさんあって、音楽があって、寄付ができて、子供たちも喜んでくれて、帰って乾杯したらビールがおいしかった。
おしまい
出店ブースたくさん。ライブや抽選会もある。
真ん中が沖縄の軽食屋さん。サーターアンダギーや野菜スープを出していた。(どれも絶品!)
そして右のお店がぼくたちのフォー屋さん。
沖縄、中国、ベトナム、イギリス、オーストラリア、台湾とインターナショナルなイベントで、友達ができて、笑顔がたくさんあって、音楽があって、寄付ができて、子供たちも喜んでくれて、帰って乾杯したらビールがおいしかった。
おしまい
Wednesday, April 18, 2012
一日フォー屋さん①
Monday, April 16, 2012
家飯④
Thursday, April 12, 2012
Visitors
最近は毎朝7時15分のスペイン語ラヂオを聞きながら脳を起こすのがぼくの日課だ。朝食にはハムとチーズのサンドイッチとコーヒーをいただいた。 シャワーを浴びて、こどもたちの英語の準備をしていると、すいませーん、とすでに我が家の戸を開けて中に入り、堂々と立っているおばちゃんがいた。(この田舎の習慣には慣れていかないといけない) そしてぼくがまるで誰かの家に入る時のように 「あの・・・」と尋ねるので、これでは主客転倒だと思い、主人らしくしてみる。手渡されたパンフレットと商品をみると、どうやらこのおばちゃんはヤクルトの方で、新しい商品の売り込みに来ているようだ。おばちゃんは少し世間話をしたあと、優しい方言で腸のお掃除について激しく説明し、一通り終えると満足げにかえっていった。 ぼくは部屋に戻り、喉がかわいたので試飲用のヤクルトをいただいてみた。
歯を磨いていると、「宅急便でーす」という声が聞こえた。中には相方が注文したベトナムの米麺、フォーが入っていた。インターネットや東京からの荷物が多い我が家には、宅急便のおばちゃんが出入りすることが最近増えてきている。
間髪入れず、ブルルルというエンジンの音がして、「ガスのメーターみていきまーす」という声が聞こえた。JAおおぞらと車のわきに書いてあった。「これは先月からのガス料金です」、といって「LPガス検針通知兼請求書」という紙切れを1枚手渡された。紙の下の方には、「毎度ありがとうございます。」と書いてあった。
雨が降りしきる田舎の景色を縁側から眺めていると、郵便のお兄ちゃんがバイクからおりて郵便物をポストに入れていった。父がおととい郵便を出したと言っていたのできっとそれに違いない。
キッチンに戻り、朝につくったコーヒーのあまりをレンジであたためなおしてすすっていると、今度は勝手口の方から、男の声が聞こえた。眉間にしわを寄せた40代の真面目一徹そうな男と、その後ろに傘をさし、背広を着た、暗い50代後半の男が立っていた。 ああ、もしかしたら明日は世紀末かもしれない、と思わせるほど二人の面持ちは暗かった。 「聖書の教えを広めています」と男は短くいった。 後ろの男はなぜか目をつぶっている。 この雰囲気からして、この男たちが世の中に幸福をひろめようとしているとは誰が信じるだろうか。 ぼくはなぜか咄嗟に、「すいません。今、味噌作りで忙しいんで」、と嘘をついてしまった。 二人は無表情に残念がり、慣れたように踵をかえし帰っていった。 神様、相方、嘘ついてごめんなさい。
歯を磨いていると、「宅急便でーす」という声が聞こえた。中には相方が注文したベトナムの米麺、フォーが入っていた。インターネットや東京からの荷物が多い我が家には、宅急便のおばちゃんが出入りすることが最近増えてきている。
間髪入れず、ブルルルというエンジンの音がして、「ガスのメーターみていきまーす」という声が聞こえた。JAおおぞらと車のわきに書いてあった。「これは先月からのガス料金です」、といって「LPガス検針通知兼請求書」という紙切れを1枚手渡された。紙の下の方には、「毎度ありがとうございます。」と書いてあった。
雨が降りしきる田舎の景色を縁側から眺めていると、郵便のお兄ちゃんがバイクからおりて郵便物をポストに入れていった。父がおととい郵便を出したと言っていたのできっとそれに違いない。
キッチンに戻り、朝につくったコーヒーのあまりをレンジであたためなおしてすすっていると、今度は勝手口の方から、男の声が聞こえた。眉間にしわを寄せた40代の真面目一徹そうな男と、その後ろに傘をさし、背広を着た、暗い50代後半の男が立っていた。 ああ、もしかしたら明日は世紀末かもしれない、と思わせるほど二人の面持ちは暗かった。 「聖書の教えを広めています」と男は短くいった。 後ろの男はなぜか目をつぶっている。 この雰囲気からして、この男たちが世の中に幸福をひろめようとしているとは誰が信じるだろうか。 ぼくはなぜか咄嗟に、「すいません。今、味噌作りで忙しいんで」、と嘘をついてしまった。 二人は無表情に残念がり、慣れたように踵をかえし帰っていった。 神様、相方、嘘ついてごめんなさい。
Wednesday, April 11, 2012
月夜
カメラを持って外に飛び出し、シャッタースピードを調整しながらああでもないこうでもないとやってみた。
Monday, April 9, 2012
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