Sunday, August 30, 2009

お刺身定食食べ放題

その夜は、先生方の車で日本食レストラン「SUY-SEI」(彗星)へ。 ここはなんと35ヘアル(1750円くらい)でお刺身定食が食べ放題。日本食でこの値段、しかも食べ放題というのは今までではじめてだ。朝から水とニンジンとハムサンドとキャラメルしか食べていなかったので、お腹に穴があいちゃうんじゃないかしら、と思うほどお腹がすいていた。  思えばベネズエラから南下をしてきて、日本食は一度も食べていなかった。これは食溜めの絶好のチャンスである。 彗星と言う名前は、ここマナウスにまるで彗星のようにあらわれたから、と言っていた。 オーナーのおじいちゃん。とっても元気でいい笑顔。 このレストランはビュッフェ形式。お刺身はブリとサーモンと鯛。曜日によってはマグロも出るとか。他にも冷奴にタコとキュウリの酢和え、焼き魚、モヤシ炒め、野菜の天ぷらなどもあった。 たーんとお食べ、とおじいちゃん。ありがたや。 お茶とご飯。この盛り、まるで日本昔話。 なんとその横でNHKが。 一番奥のT先生、昨日もここで鱈腹食べたとか。 みんなで手を合わせて、いただきます。 美味しいものが食べれるって、やっぱりどこの国でも幸せなこと。 あまりの感動にこの絵を暫く眺めていた。 食べ始めると、もうとまらない。お刺身を山葵醤油に漬ける→ご飯に載せる→よく味わっていただく→お味噌汁を一口→お茶をすすってみる→しみじみと幸せを感じる→おもむろにそれを繰り返す。ブリやシャケをご飯と口に入れると、新鮮なお魚さんとお醤油の味が口いっぱいに広がって、噛むと身から脂が出てきて、さらにご飯が進んで、飲み込んだあと思わず目を細めてしまう。結局ぼくはドンブリご飯大盛り4杯におネギのお味噌汁2杯、お刺身を山盛りで3回ほど御代わりして満腹に。先生たちも大盛り3杯食べていた。大きな炊飯器がほぼ空っぽになって、おじいちゃんが、たくさん食べる人をみると気持ちがいいなあ、とうれしそうな顔をしていた。 お腹の穴も埋まって、お茶をちびちびやりながらNHKをみていると、場所は違えどここはもはや日本。日本の優しい日常があった。 先生方、おじいちゃん、おばあちゃん本当にご馳走さまでした。

Thursday, August 27, 2009

マナウスからの願い事

マナウスでは日本人学校を訪問。自然に囲まれた学校で、マナウス市内からバスと歩きで約1時間半。校内にはマンゴーの木や、アセロラ、ココナッツ、パパイヤ、スターフルーツ、グアバ、スイカなどトロピカルなフルーツがいっぱい。他にもヒマワリにゴーヤ、キャッサバ(タピオカの木)、クイヤという木の実などが植えられている。そしてなんと一年に数回ナマケモノも訪れるとか。自然の魅力いっぱいの学校だ。 ベニコンゴウインコという種類のインコらしい。 スターフルーツ。一ついただいたが、すっぱうま。 クイヤという木の実。人の顔よりも大きい。食べれないが、原住民の人たちは半分に切って器として使っているようだ。 すぐ近くの川。ワニもたまに通るそう。 見た事のない花もいっぱい。 この日は七夕の日で、朝一番にみんなで願い事を短冊にしたため、竹の笹に吊るした。 ここ、遠いブラジルでも、日本の文化、慣習が子供たちに伝えられている。 みんなの願い事を。 えらい。 さすがアマゾンの子供たち。 ジャイカの試験に合格すると、研修で日本にいけるようだ。 昔、ぼくはなんて書いたっけと思い出そうとしていた。 校庭に場所をうつして写真撮影。 ここの学校には駐在員の子供たちだけでなく、日系ブラジル人の為のコースも用意されている。なんと多くの子は午前中に日本人学校へと通い、午後に現地の学校に通っているとか。 マナウスは常夏。冬のはずの7月も日々猛暑。いつか屋内にできますように。 大志を抱いて。 ポ語とはポルトガル語の事。 子供たちの願い事いっぱいの笹竹と一緒に。 願いがかないますように。 その後1日授業に参加させてもらい、休み時間にはみんなと一緒にサッカーをしたり、ブラジルのバハバンデーラという陣地取りゲームをして遊んだ。 夜は先生たちに、遠いマナウスへようこそと招かれ、日本食をご馳走になってしまった。あまりに美味しくて感動したので、次回はそのことについて。

Monday, August 17, 2009

オーパ!

   ポルトガル語の感嘆詞でオーパというかわいいやつがある。このオーパ、驚いた時のWOWとも使えるが、人に急に会った時のHiにも使えるし、ヒエーという悲鳴にも使えるマルチな言葉だ。言い方もちゃんとあって、オーのあとに唇を窄めて、そのあと唇を弾くようにしてパッという。オーッパッ。人によってはオッパーとも言う。ぼくはこの言葉の響きがとても好きで、街中で耳にすると、おもわずニンマリしてしまう。  ただ今回ブラジルに入国して聞いた最初のオーパは、あまりうれしい内容のものではなかった。それはぼくがボア・ビスタという町のバスチケット売り場で列に並んでいて、前の男がぼくと同じマナウスまでのチケットを買っていた時のことだった。 男            「マナウスまでの夜行を一人」 カウンターの女性   「90ヘアル($45)です」 男            「オーパ!また値上がりしたの!?半年前は80ヘアルだったのに・・・」 カウンターの女性   「ガソリンの値段が高くなったので。」 男           「家族に会いに行くんだ。今回だけ安くしてくれない・・・?」 カウンターの女性   「無理です。90ヘアルです。」 男+後ろのぼく     「オーパ・・・・」 これは確かにオーパと叫びたくなる高さだ。特にベネズエラから来ると、ブラジルの物価は異常に高く感じてしまう。途中安宿で拾ったロンリープラネット・ブラジル2005年版(ガイドブック)には、当時の値段表に同区間50ヘアル($25)と書いてある。4年で$20も上がってしまったのだ。南米のほかの国々は10時間のバス旅行は大抵$10前後、高くても$20だ。(ウルグアイとチリは$30になることもあるが)ブラジルはそういう意味で破格である。そしてここ数年でさらに物価が高騰してしまったようだ。  「サオヤー、サオダケー、2本で千円、十年前のお値段です・・・」というわけにはなかなかいかないようである。 オーパ! は当分、ブラジルでのぼくの口癖になってしまいそうだ。

Sunday, August 9, 2009

Santa Elena de Uairén

   ベネズエラとブラジルの国境、サンタ・エレナ・デ・ウアイレン。ブラジル入国の為にここの領事館でビザを取得するため2日ほど滞在した。ブラジル入国は南米を旅する日本人、カナダ人、アメリカ人、オーストラリア人のみなさんにとって結構しんどいものがある。ビザの値段が高いうえに、ビザを取得するために往復の航空券が必要な場合があり、さらにそこの領事の気分で発行の許可の行方が決まってしまう。現にぼくの横にいた坊主のアメリカ人女性は、パスポートの写真がドレッドヘアーで今と全然違うので、したがってとっても疑わしいのであなたダメ、と入国を拒否されていた。極めてアンラッキーである。その横にいた日本人の坊主(ぼく)は、日本語のサインの字がきたないといちゃもんつけられ、日本人にいわれるならまだしも、ブラジル人にいわれて余計なお世話だと内心憤慨していた。結局ビザはもらえたのだが。  ここサンタ・エレナのブラジル領事館で、デミアンという不思議なブルガリア人に出会った。髪の毛もボサボサで、鼻のてっぺんと頬っぺたから毛が生えていて手塚治虫の漫画に出てきそうな風貌の男だった。おや、これは人物だ、と思った。最初は何人かわからないので英語で話しかけてみるが通じず、スペイン語も駄目だったので、ポルトガル語の知っている言葉で話しかけてみたら目がギョロっと反応をみせた。ぼくのネズミのような拙いポルトガル語でなんとか会話を交わしていると、どうやら彼はブルガリアのフォークロリック(民謡音楽)の音楽家らしい。彼の奥さんはブルガリアのプロのチェロイストで、ブラジルのマナウスのオーケストラに2年間招待され、彼と息子と三人でブラジルに来ているようだ。そしてここにはビザの延長の為に彼一人マナウスから訪れているとか。
思えば彼との仲良くなった最初の会話も音楽を通してだった。 デミアン 「ジュンは音楽・・ナニが好き?」 ぼく   「ブルース、ロックが好き」 デミアン 「ぼくロック・・ツェぺリンがとても好き。ジュン・・ツェぺリンは?」 ぼく   「ハウスオブザホーリー・・・ダイアーメイカー」 彼はニコッと鋭い目をさらに細めて、わかってるじゃないといった様子で握手を求めてきた。
 デミアンはぼくが今まで会ったことのない不思議な人間と思わせたのは彼の時間に対する感覚だった。15分ほど歩けば着くところを一時間はかかると思い込んでいたり、次の朝の9時に一緒に領事館へビザを取りに行こうと約束したら、朝の4時半にぼくの部屋に来て、早くしないと遅刻してしまうとソワソワしてい た。それに彼の左腕の時計もてんでデタラメな時間で、その時計壊れているの?と聞くと、これブルガリアの恋しい時間だよ、と不思議な事を言 う。色々と話しながら事情を聞いていると、どうやら彼は時間というものがサッパリ苦手らしい。1分といわれても1時間といわれてもそれがどれくらいの長さなのかわからず、 時間をみるのが嫌で、時計を持ち歩くだけで体調を崩してしまうらしい。旅の間は、マナウスにいる奥さんに強制的に時計を持たされているようだが、途中気が滅入ってしまい、それならばと愛するブルガリアの時間に変えてしまったようだ。 時間が駄目だという人には生まれて はじめて会ったが、彼のような人のことをクロノ・フォービアとでもいうのだろうか。 夜はバーで、音楽とブルガリアの話を肴にビールを飲んだ。 もちろん、時間など気にする由もなく。

Friday, August 7, 2009

Children in Canaima

After the tour, I stayed an extra day at the national park to walk around the Canaima village. At the lake, kids were playing on the boat!
They are about to.. jump!
Canima village.
Elementary school in Canaima nacional park. I was standing in front of the school until one of the teachers waved at me and said "It's ok, come in to our class room and study with us!"
I introduced myself to all the classmates.
Studying Geography of Venezuela.
Teacher and the students.
Natural playground.
Hello
Look! We are on a cliff!
Boys love to play soccer. Ofcourse I joined them.
They sure know how to smile.

Sunday, August 2, 2009

カナイマ国立公園

ベネズエラを訪れたらどうしてもみたかったエンジェルフォールズ。スペイン語の名前はサルト・アンヘル。一人では来れないのでツアーに申し込んで国立公園へ。 こんな小さなセスナでカナイマ国立公園まで移動。落ちませんように。 円い虹を発見。
いくつもの川が地形を変えるので、ここはグーグルアースでも定期的に地形更新が必要な場所らしい。
川の上の島。 川と森が永遠と続いている。
自然のデザイン。
カナイマ国立公園に到着。
無事着地。ああ恐かった。
ガイドさん。とってもたくましい人。
樹木から出るタニンという成分が水を赤くしている。
こういう細いボートに乗っていく。滝までの行程約5時間。
ボートに乗ってサルト・アンヘルへ。
船頭さん。
山々。
本当に深い自然に入ってきました。
みえてきました。
サルト・アンヘル。
滝の近くの岸へ到着。 あそこまで歩いて30分。あと少し。
森の中を。
こんなカエルも発見。
大きな蟻の巣を発見。
エンジェル・フォールズ 高さ979m(3212ft)。あまりの高さで滝つぼはできず水は空中分解してしまうそう。
雨期なのですごい水の量。こんな滝みたことない。
夜は滝の反対側で宿泊。
帰りは流れに沿うので3時間半くらいで帰れた。カナイマ国立公園入り口に戻り、ここにもう一泊。
朝5時半。 目の覚めるような大自然。 かなり移動が長く体力を消耗するので、歳をとったらなかなかこれないでしょうかとガイドさんに聞いてみたら、こんな話をしてくれた。 「数年前、君の国からすごいおじいちゃんが来たよ。彼86歳だったよ。戦争にもいったって。足腰もしっかりしてて、木や岩につかまりながらゆっくりゆっくりみんなについてきてたよ。ここに訪れるのは彼の夢だったみたいだ。付き添いに息子さんとその奥さんも一緒に来てて、ツアーの人たち、彼に感動してツアーが終ったあとずっと拍手してたよ。そしたらそのおじいさんみんなに深々と頭を下げてこういったそうだよ。「みなさまのおかげです」って。人間、歳じゃあないんだって教えてもらったよ。」