Monday, March 15, 2010

ベッドメイキング

     ぼくは旅の宿で朝目が覚めると、なによりも先にベッドメイキングをする。シーツの皺をのばして、布団を一枚一枚はがして、もう一度一枚一枚しいて、枕の形を正すと、なぜか途方もない安堵感に包まれる。その理由を尋ねるべく、おぼろげな記憶の残滓を眺めていると、小学校の夏休みに行ったカルバーという軍隊のキャンプの日々がぼんやりと遠くに蘇ってくるのだ。横浜の実家に帰ってもミジンコ程もやらないことを、旅先のドミトリーという共有スペースに入った瞬間、奇妙なスイッチが入り、当時の習慣が復活するのである。   インディアナ州に、キャンプカルバーという軍人育成学校がある。通常の学校以外にも夏休みに子供達を鍛え上げる軍隊のサマープログラムがあり、海兵学校はウェストポイント、陸軍学校はカルバーといわれるほど軍の学校では厳しくて有名で、勉強、スポーツ、規律、集団行動、サバイバル術などを小学校低学年から高校生までを対象に教えている。そんなことを知るはずもない当時のぼくは、ただ単に夏休みは家から出たい、というだけの軽い気持ちで、「小さい子には旅をさせろとことわざ辞典に書いてあった」と、わけのわからない文句を言って親に頼み込み、わざわざミシガンからインディアナの学校へ行かせてもらったのである。     カルバーでの生活は厳しさを極め、そして目が回るほど忙しかった。朝はラッパとともに6時30分に起床し、午前は行進と勉強、午後は敬礼とスポーツ、夜は旗取りゲーム、演劇、アメリカの歴史勉強会、カウンセリングなど、アクティビティーでいつもいっぱいであった。毎朝ラッパ演奏5分後にインスペクター(監査官)が入ってきて部屋をすみからすみまで点検する。トイレの水滴から部屋の埃、ベッドの皺までの全てが検査の対象である。この時間はインスペクションと呼ばれていた。部屋は12人部屋で、全てのこども達はインスペクターが入ってくるまでに制服に着替えて、身だしなみを整え、ベッドの皺を「ピン」と地平線のようにのばしておかなければならない。そして2段ベッドの前に二人ずつ整列し、厳顔なインスペクターが順にベッドの点検へとまわってくるのを固唾を呑んで待つのである。インスペクターが各々の前に立つと、こども達は、踵を整え、最敬礼し、自分たちに与えられた7桁の番号を朝の挨拶とともに暗誦しなければならない。部屋が少しでも汚れていれば全員が減点、身だしなみ、ベッドの皺、布団の畳み方、番号・挨拶、などいずれを間違えても減点され、-5点で半日トイレ掃除、もしくは1日皿洗いの刑に処されるのである。当時、英語がまったくといっていいほど喋れなかったぼくは、友人に朝の挨拶を一字一句書いてもらい、その呪詛のような異国の言葉を行進の最中でも敬礼の最中でも何度も頭の中で反芻したのを覚えている。インスペクションで、自分の番がまわってくるまでは、心臓の音しか聞こえないほど緊張した。昔から、緊張すると、極端に手の平が汗で濡れるので、何度もお尻で汗を拭いた。ぼくは少しずつ近づいてくる呪詛暗誦の恐怖と、人の前で試されるという苦痛をこの時はじめて覚えたのだと思う。   ぼくたちの部屋で、英語をうまくしゃべれない子供はぼく以外にもいた。インド人の子が一人(ぼくのベッドの下段)、メキシコ人の子とプエルトリコ人の子が二人(隣のベッド)であった。インド人の子はわりと話せたが、メキシコ人とプエルトリコ人の子はぼくと同じくらい話せなかった。他の子たちはアメリカ人で、黒人の子が二人と白人の子が6人いた。この時横で寝ていたメキシコ人とプエルトリコ人の二人のピロートークを毎晩意味わからずも聞いていて、はじめて耳にしたスペイン語という言語の響きのよさに感心したのを覚えている。プエルトリコ人の子は、将来軍人になってアメリカの国籍を取得し、お父さんお母さんを養ってあげるんだ、とぼくに身振り手振りで教えてくれた会話は今でも忘れられない。   夜になると、部屋中の子ども達がよく泣いていた。厳しく、次の日の朝がいやになって泣いてしまう子や、ホームシックにかかり泣いてしまう子がたくさんいた。途中精神的に辛くなり、脱走してしまう子や、キャンプから家に帰ってしまう子もいた。しかし、ぼくはホームシックというものがよくわからなかった。お父さんやお母さんに会いたい、と言ってみんな泣いていたが、ぼくはようやく家から抜け出せたという気持ちのほうが強かったのだ。唯一恋しかったのは、家で食べていたソーセージ入りのサッポロ一番みそラーメンと大好物の揚げ餅だけであった。夜中になってシクシクという音がしだすと、ぼくは下段のベッドで寝ていたインド人の顔を覗いて目を合わせ、ぼく泣いてないよ、とよく確認しあっていた。   寝る時にも次の朝をむかえる配慮が必要だった。ベッドを目一杯乱して寝ると朝のベッドメイキングにどうしても時間がかかってしまう。2段ベッドの上段で寝ていたぼくはなるべくシーツに皺をよせないようにして、掛け布団をはがさず、別にもっていたタオルケットをかけて、形をくずさないようにまるまって寝ていた。そうすれば朝ラッパが鳴った瞬間、ベッドから飛び降りて、ただ手で皺を伸ばせばいいだけだからである。      こんな遠い過去の自分を、ベッドのシーツから思い出したてしまった。

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