Saturday, April 30, 2011

Up north Michigan①

二人が避暑地として利用している、デトロイトの北へ4時間ほど車で走ったところにある別荘へ遊びにくる。


















ミシガンの、のどかな道をゆく。

















ミシガンは、「ミシガン・ウェザー」という名前があるほど天候が変わりやすいことでで有名だ。天気予報もあまりあてにならない。



ガソリンは全米どこでもセルフ。

















昔、中学校だったころ、一度母と友人で招かれたことがある。昔はもっと小さな家だった記憶だ。

















玄関。ここはもともとドクター・ラングのお母さんの家だった。それを二人で毎年夏に訪れて、改築、改装を重ねて現在にいたる。

















中は、ゆったりと暮らせる二人の築き上げてきた安住の住処。

















ミセスラングの好きなイサム・ノグチとドクターラングがここに来たときは毎日弾いているお母さんのピアノ。



右の本棚には、エルのお母さんが読んでいた本が大切にしまってある。

















手作りのベンチ。

















湖の奥に夕陽がゆっくり沈んでゆくのを眺めていると、空の色がじんわりと沁みてくる。

この静寂、まるでソローの「森の生活」だ。

つづく

Wednesday, April 27, 2011

ピザ

この日の夜は、三人で地元のピザ屋さんへ行った。久しぶの、アメリカンピッツァ。
























三人で一つサラダを取りましょうと、ミセス・ラングがサラダをオーダーしてくれた。このボール満杯の野菜とチーズとハムとオリーブが入ったサラダ。これがなんとスモール。ミセス・ラングとドクター・ラングはお皿一杯ずつとったら、これあとは全部Junが食べなさいと、ぼくにボウルごと渡してきた。そんな無茶な。



これはここの名物のガーリックブレッド。パウダーチーズとガーリックとバターとがたっぷりぬってあって、カロリーもお味もリッチ。

















ミックスピッツァ。これでミディアムサイズ。日本だったらXLとかLLというサイズだろう。

















懐かしの味。コッテリしてて、コーラがよくあう。

















ミセス・ラングは1枚半、ドクターラングは2枚、ぼくは4枚食べて、お腹一杯。少し残ったので、ドギーバッグにしてもらった。


そういえば、アメリカのピザの思い出といえば、中学校・高校の友達の家にスリープオーバー(お泊まり会)をしたときに、必ずといっていいほど夜中にみんなでホラー映画を観ながらピザを食べたことだ。 みんな元気にやってるだろうか。

つづく

Tuesday, April 26, 2011

Lahser Highschool⑤

最後は、なつかしの体育館へ。

















ロッカールーム。ここで、バスケをしたあと、友人達とよくコーラを飲んでいた。

















この日はイベントの会場をセッティングしていた。昔はものすごく広い体育館だったが、久しぶりに来たら、こんな狭かったっけとびっくり。

















体育館の外の廊下。プールのにおいもなつかしい。




ラーサーがもし、隣のディストリクトのアンドーバーという学校と合併してしまったら、ここの建物はなくなってしまうのだろうか。自分の高校は、将来もずっとあってほしい。

つづく

Sunday, April 24, 2011

Lahser Highschool④

理科のクラスが集まる所へ来た。フレッシュマン(高校1年生)のとき、選択でぼくはバイオロジー(生物)のクラスをとり、そのクラスの先生がすごくいい先生だったのを思い出した。彼の試験は、毎回最後の1問だけ、ちょっと捻った応用問題だった。

















このクラスは化学のクラス。朝から、先生がプロジェクターを使い説明していた。

















みんな一生懸命勉強中。

















ここの教室は、ぼくがバイオロジー(生物)をとったクラス。


















なつかしい。全然かわってないや。テーブルも、配置も確かこんな感じだった。隣には、いつも点数を競い合っていた中国人の女の子が座っていた。(彼女はその後、スタンフォードへ行ったと聞いた。)

















物理、化学、生物などが集まる、思い出のサイエンスウィングでした。

つづく

Wednesday, April 20, 2011

Lahser Highschool③

なつかしのカフェテリアを訪れてみる。













ここに生徒たちは集まって食べてもいいし、天気のいい日は、外に寝転がって食べてもいい。ぼくはほぼ毎日、サンドイッチとオレンジジュースとスナックを茶色い袋に入れて家から持ってきていた。

















カフェテリアではサラダやピザ、ラザニア、サンドイッチ、スープなどを買うこともできる。ぼくがいた頃よりもメニューがかなり増えていた。



食堂のおじちゃんと話していたらこんなことを教えてくれた。

「デトロイトの景気がずっとよくならないから、ここ10年で若い人がどんどん外の州に仕事を求めて出て行っちゃったんだ。GMやフォードの工場だって今は縮小しちゃったしね。君がいた頃は、この学校の生徒数も1200人くらいいたけど、今は800人弱まで落ち込んじゃったんだ。まだわからないけど、もしかしたらアンドーバー(隣町の高校)と合併することになるかもしれないんだ。信じられるかい?本当にそうなっちゃったら、なんだか寂しいよな。」

















ぼくがいたときにカフェテリアの料理をつくっていたおばちゃん。数年前に亡くなるまで、長年にわたり、ラーサーの生徒たちに昼食を用意してくれた。本当に長年お疲れ様でした。

















カフェテリアの前にはなつかしの図書館。

















ここは吹奏楽のクラス。ぼくは中学の頃からクラリネットをやっていたので、その流れで高校でもやっていた。

















奏楽とマーチングバンドの先生は確か、ミスターディーという太っちょの冗談が大好きな先生だった。


















その場所へ来ると、ふと思い出すあのときの人や、言葉というものがある。

つづく

Monday, April 18, 2011

Lahser Highschool②

ブラブラとドクターラングと学校内を歩き回り、社会のクラスが集まる棟を見つけた。フレッシュマン(高校1年)の時、Practical Lawという社会科の授業をとっていたクラスを見つけた。どんな教室だったかな。

















すいませーんと中に入り、先生と挨拶を交わす。ここの元生徒ですが、と説明すると喜んで中に入れてくれた。去年は、社会科のクラス全員で、スクールトリップで中国へ行ってきたことを教えてくれた。

















「この方は、この学校の元生徒だそうです。なんと18年前にこのクラスで学んでいたそうですよ。」と、クラスのみんなにぼくのことを紹介してくれた。

















机の位置がかわっているだけで、まったく一緒。信じられない。

















ラーサーにおかえり!こういうのって気持ち的にどんな感じですか?と質問してくれた。

















アメリカの高校生はこんな感じに私服でリラックス。

















この日はディスカッションの授業。難しい?と聞くと、先生に宿題を減らすようにお願いして!と言っていた。

















廊下で知り合ったジュニア(高校3年生)とシニア(高校4年生)の生徒たち。アメリカ人の高校生はオープンでとっても明るい。

あの頃がなつかしいなあ。


つづく

Wednesday, April 13, 2011

Lahser Highschool①

この日はぼくの高校、Lahser Highschoolまでドクターラングに連れてきてもらう。この高校にはぼくは高校1年生の1年間、姉は2年間通った。

















Lahser Knights というモチーフがあり、ナイツ(騎士)の銅像が学校の正面に飾られている。

















なつかしいすぎる。正面玄関。

















教員室をたずね、事情を説明をすると、ここにサインアップしてシールをはれば、思う存分見ていいということになった。なんだかとってもスムーズだった。

















教員室前で。
























ドクターラングも一緒に。


















最近は、グリーンスクールという環境にやさしい学校を目指していると、通りがかりの先生が教えてくれた。

















オーディトリアム。

















ここ、ここ。なつかしすぎる。

















ぼくの英語のクラス。先生に頼んで、中を見せてもらえた。



アメリカは生徒主体の行事が多い。
























廊下に貼ってあった教習所の広告。アメリカは高校生から運転できる。ミシガン州は確か15歳で仮免、16歳で免許がとれたと思う。

つづく