最近、時間を見つけて、旅の夜にしたためた日記を読んでいる。そこには旅をした土地土地で食べてきた物や、見てきた景色などが書かれているのだが、読んでいると「出会った人」についての記述が最も多く書かれていることに気が付いた。
ある手帳にはこんな言葉を書いていた。
人は何にも勝る教科書だ。
Beliz の国境で、気持ちがよいほど心が通じ合ったドイツ人のJumpとSara夫妻。ぼくよりも一回りも上の旅人だったが、人と通じ合うというのは時間ではないということを教えてくれた。特に多くのことをしゃべったというわけでもなく、何か特別なことを一緒にしたというわけでもない。互いの存在を確認しただけで、思わずうなずいてしまえる稀有な出会い。別れ際には、住所やE-mailなどの交換といった野暮なこともしない。「地球のどこかで、いつかまた出会えたら」、 という古き善き旅人の流儀も心得ていて、ぼくの琴線にふれる出会いだった。
また、ブラジルのBelemで出会ったJorgeさんと Claudiaさん夫婦。 日本の広島に8年間出稼ぎに出ていたので、流暢な日本語でぼくに声をかけてきてくれた。っというより、二人が営むインターネットカフェをたまたまぼくが訪ねたのが出会いの種であった。彼らとも滞在中、毎日のように日本という不思議な国について熱く語りあった。あまり多くの努力をせずとも、まるで既知の友のように、主語や説明を省いた近道のような会話が心に残り、人間の魂というものにはやはり遠近あるのだなあということを改めて感じさせられた。
その他にも、アマゾンの船の中で出会ったベルギー人のPauline、オーストラリアの宿で出会ったMalte、パラグアイのピラポで出会った新ちゃん、ウルグアイで出会ったLuis、 アルゼンチンで出会ったユースケ君、ニカラグアで出会ったMarco・・・。
もちろんよい出会いばかりでなく、苦い出会いや危ない出会いも両手両足では数えれないほどあった。しかし、袖振り合うも多生の縁。人間の出会いというものには、ある不思議な因果、繋がりがあるのだと思う。
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