ぼくのおばあちゃんは93歳。東京の下町で一人暮らししている。
週に二回、ホームヘルパーさんが掃除をしにきてくれているが、それ以外はまだまだ自分で生活ができる。
おばあちゃんは、昔から本当によく食べる人。だから長生きできるのだろう。
趣味は豆を煮ること。(フラッシュをたいてしまったので赤くなってしまったがこれは黒豆)
とても賢くて、元気なおばあちゃん。
来れるときは、なるべく来て、一緒に買い物や食事をしてあげたい。
Wednesday, June 29, 2011
Monday, June 27, 2011
街
Friday, June 24, 2011
帰ってきて
Monday, June 20, 2011
日本へ
Thursday, June 16, 2011
Wednesday, June 15, 2011
その他の写真
ここは、ぼくたちが新鮮なお刺身の魚を、よく買いに来ていた、NOBLE FISH というお店。日本の食材などもここで買えた。
お店は昔のころとまったく変わってない。
こっそりお店の中を撮ってしまった。昔とかわってないなあ。中に小さなお寿司屋さんが新しく出来ていた、すごく繁盛していた。
バーミングハムにGoogleのオフィスを見つけた。
モールにあった子供のプレーグラウンド。広々としていて、子供に優しいのはアメリカのいいところだ。
日本のお土産に買った、ミシガン大学のパーカー。
知り合いのドクターマエダ。お久しぶりです。
昔、ドクター・ラングとミセス・ラングが飼っていた猫。クリームパフ。勉強したあと、よく一緒に遊んでいた。
二人の家。アメリカの家には珍しく、ちょうどいいサイズ。ぼくもこれくらいの家に住みたい。
若かれしころの、ドクター・ラング。昔は米軍の歯医者だった。
二人がミシガン大学の学生だった頃の写真。
お店は昔のころとまったく変わってない。
こっそりお店の中を撮ってしまった。昔とかわってないなあ。中に小さなお寿司屋さんが新しく出来ていた、すごく繁盛していた。
バーミングハムにGoogleのオフィスを見つけた。
モールにあった子供のプレーグラウンド。広々としていて、子供に優しいのはアメリカのいいところだ。
日本のお土産に買った、ミシガン大学のパーカー。
知り合いのドクターマエダ。お久しぶりです。
昔、ドクター・ラングとミセス・ラングが飼っていた猫。クリームパフ。勉強したあと、よく一緒に遊んでいた。
二人の家。アメリカの家には珍しく、ちょうどいいサイズ。ぼくもこれくらいの家に住みたい。
若かれしころの、ドクター・ラング。昔は米軍の歯医者だった。
二人がミシガン大学の学生だった頃の写真。
Saturday, June 11, 2011
スクールバス
アメリカにいた頃、ぼくは毎日この黄色いスクールバスに乗り、学校へ通っていた。スクールバスはアメリカのシンボルでもある。
何故か運転手のおばちゃんは決まって口が悪く、後方の座席に屯う悪ガキたちを、大きな声で怒鳴り散らしていた。座席は深緑色のゴムシートで、ところどころ鉛筆で穴が開けられ、落書きがされていた。
ぼくは背がちっちゃくおとなしい方だったので、いつも前の方に座って外の景色を眺めていた。通学路には、大きな湖と、その周りに生える杉やメープルといった木々がみえた。
朝のスクールバスは子供達にとって学校までの憂鬱で苦痛な時間だった。しかし、帰路は一転して、まるでパーティーのようでもあった。早く家に帰って遊びたい、そんな子供達の願いを乗せていた。後ろのヤンチャな子供達がステレオ(カセットテープの)を持って、バスの後ろで大音量の音楽をかけていた。ビースティーボーイズやスティービーワンダー、ブライアンアダムス、ボンジョビといった、その時代のめいいっぱいカッコいい音楽をかけていた。
あの頃のぼくの日常は、デトロイトの景色やアメリカの音楽であふれていたんだなあ、と思った。
つづく
何故か運転手のおばちゃんは決まって口が悪く、後方の座席に屯う悪ガキたちを、大きな声で怒鳴り散らしていた。座席は深緑色のゴムシートで、ところどころ鉛筆で穴が開けられ、落書きがされていた。
ぼくは背がちっちゃくおとなしい方だったので、いつも前の方に座って外の景色を眺めていた。通学路には、大きな湖と、その周りに生える杉やメープルといった木々がみえた。
朝のスクールバスは子供達にとって学校までの憂鬱で苦痛な時間だった。しかし、帰路は一転して、まるでパーティーのようでもあった。早く家に帰って遊びたい、そんな子供達の願いを乗せていた。後ろのヤンチャな子供達がステレオ(カセットテープの)を持って、バスの後ろで大音量の音楽をかけていた。ビースティーボーイズやスティービーワンダー、ブライアンアダムス、ボンジョビといった、その時代のめいいっぱいカッコいい音楽をかけていた。
あの頃のぼくの日常は、デトロイトの景色やアメリカの音楽であふれていたんだなあ、と思った。
つづく
Saturday, June 4, 2011
Rugby Circle②
ラグビーサークルにあるぼくの家。20年ぶりの家は、いったいどのようになっているだろう。
ラグビーサークルの入り口。
入り口の対面にある家が、ここいら変の学校へ行くスクールバスのバス停。ぼくはあの芝生のしたあたりで、毎日スクールバスを待っていた。毎朝7時45分頃だった。
ラグビーサークルの中はこんな感じ。
なつかしいお隣さんの家。静かなユダヤ人一家が暮らしていた。
あった・・・。ぼくの家だ。家は昔のまんまだ。
バスケットのゴールはなくなっていたが、横もまったく変わっていない。
ここの庭の端には、ぼくたちが引っ越す前まで大きな木があったが、雷で折れてしまった。
ぼくはこの家に5年半住んだ。庭が広く、芝刈りが大変だったの、ぼくが一回5ドルでアルバイトをしていた。
家には人がいなかったので中は見れなかった。でもそれでよかったと思う。
また来よう。
ラグビーサークルの入り口。
入り口の対面にある家が、ここいら変の学校へ行くスクールバスのバス停。ぼくはあの芝生のしたあたりで、毎日スクールバスを待っていた。毎朝7時45分頃だった。
ラグビーサークルの中はこんな感じ。
なつかしいお隣さんの家。静かなユダヤ人一家が暮らしていた。
あった・・・。ぼくの家だ。家は昔のまんまだ。
バスケットのゴールはなくなっていたが、横もまったく変わっていない。
ここの庭の端には、ぼくたちが引っ越す前まで大きな木があったが、雷で折れてしまった。
ぼくはこの家に5年半住んだ。庭が広く、芝刈りが大変だったの、ぼくが一回5ドルでアルバイトをしていた。
家には人がいなかったので中は見れなかった。でもそれでよかったと思う。
また来よう。
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